第1巻その4 董天(ドンティエン)王の伝説

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ehon3_9.jpg董天(ドンティエン)王の伝説

◆殷王の侵略に備え、龍王(ロンブォン)を招く
◆国中で勇者を探す
◆鉄の馬と兜を作る
◆天の将軍が殷王を倒す
◆天の将軍、扶董天王(フードンティエンヴォン)を祀る

子どもが有名な将軍になったきっかけは、母親の文句だったという、衝撃の展開です。

◆殷王の侵略に備え、龍王(ロンブォン)を招く
 雄王(フンヴォン)は、国が豊かで強力であることに安心して、北に拝謁するのを怠っていました。殷朝の王は、巡行を口実に侵略をしました。
 雄王(フンヴォン)はその知らせを聞いて、彼の廷臣を呼んで攻守の策について尋ねました。ある道士が「龍王(ロンブォン)に軍を連れてくるよう助けを求めては」と王に進言しました。
 王は聞き入れて、祭壇を築き、その上に金、銀、絹を供え、斎戒し、香を焚き、3日間祈祷しました。すると大雨が降り風が吹き、突然、身の丈は9トゥック(約4m)を超え、顔は金色、腹は大きく、白い髭の老人が現れ、三つ角に座り、談笑し歌を歌い舞い踊っていました。人々は特別な人であると思って、王に報告しました。
 王は自ら挨拶に出て、彼を祭壇に迎えました。その老人は食べませんし話もしません。王は尋ねました。「北の兵が侵攻したと聞きました。私たちは負けるか勝つか、あなた様は見聞がおありです。どうかお教えください。」老人はしばらく黙って座ってから、占いの札を引き、王に言いました。「3年後に北の侵略者がやってくる。厳重に武装し、兵士と上官を鍛錬し国を守らなければならない。そして世の中から特別な天才を探さなければならない。敵を破ることができる者には称号と領地を授け継承を許しなさい。もしふさわしい者がいれば、敵を倒すことができる。」老人は話し終わると空に飛んで行きました。それで彼が龍君(ロンクン)であることがやっとわかったのです。

◆国中で勇者を探す
 3年がたち、国境の人々から殷の敵が到着したと知らせがありました。王は老人の言葉に従い、才能ある人を登用するため、使者をあちこちに送りました。
 使者は北寧(バクニン)の仙遊(ティエンズー)県董鄉(フードン)村に着きました。そこには60歳を過ぎてから1月7日生まれの息子を授かったお金持ちの人がいました。子どもは3歳になっていましたが言葉を話さず、仰向けに寝るだけで、座ることもできませんでした。
 子どもの母親は使者が来たと聞いて冗談を言いました。「生まれたこの子は、食べることしか知らないし、敵と戦う方法もわからない。王様の報酬をもらってお乳の恩を返せない。」子どもは母親が話すのを聞いて突然「ここに使者を呼んでください。」と言いました。母親はとても驚いて近所の人に話しました。近所の人たちは大喜びして、すぐに使者を呼んで来ました。使者は聞きました。「お前は幼く話ができるようになったばかりだ。なぜ私たちを呼んだのか?」

◆鉄の馬と兜を作る

 子どもは起き上がって使者に言いました。「急いで戻って王に告げてください。高さ18トゥック(約8m)の鉄の馬、長さ7トゥック(約3m)鉄の剣、鉄の鞭、鉄の兜を作ってください。私は馬に乗って兜をかぶって戦います。敵は絶対に倒れます。王に何の心配があるでしょう。」
 使者は非常に喜び、急いで戻り王に報告しました。王は驚きながら喜んで言いました。「もう怖れることはない。」近臣達は言いました。「どうして1人で敵を倒すことができるのか。」王は怒って言いました。「かつての龍君(ロンクン)の言葉に間違いはない。お前たち、疑うのはやめろ。急いで、鉄50カン(斤)の鉄を探して精錬し、馬、剣、鞭、兜を作るのだ。」
 使者が着いて、母親は災難が起こるのを怖れていました。息子は笑って言いました。「お母さん、僕が食べられるように、ご飯と酒をたくさんください。敵と戦う事はお母さんは心配しないで。」子どもはすごい早さで成長し、たくさん食べて飲んで食べ物はなくなり、母親の上げるものでは足りません。 近所の人たちは、たくさんの水牛、酒、餅、果物を用意しましたが、子どもはまだ満腹になりませんでした。絹布錦織はたくさんありましたが、それでも体を覆うことができず、葦の穂を取ってきて体を覆うために足して結ばなければなりませんでした。

◆天の将軍が殷王を倒す
 殷朝の軍隊が武寧(ヴーニン)の鄒山(チャウソン)山のふもとに着いた時、子どもは足を伸ばして立ちました。10トォック(4.25m)を超える高さでした。(チュォン(約3.3m)と呼ぶ所もあります。)彼は鼻を空に向け10回以上くしゃみをすると、剣を抜いて叫びました。「我は天の将軍なり!」そして兜をかぶり馬にまたがりました。
 馬は跳ね上がり、長くいななき、飛ぶように疾走しました。一瞬で殷王の軍の前に来て、剣を振って前に行くと、味方の軍隊は後に続き、敵の砦の目前に進みました。 敵軍は逃げ出し、残った者は誰もが天の将軍にひれ伏し叫び降伏しました。
 殷王はこの戦いで死にました。キムホア(金華)県のソクソン(朔山)の地で、天の将軍は上着を脱いで馬にまたがり天国に上っていきました。4月9日のことでした。そして山の岩にその跡を残しました。

◆天の将軍、扶董天王(フードンティエンヴォン)を祀る

 フンヴン(雄王)は、その功を思い、扶董天王(フードンティエンヴォン)として尊敬し、故郷の村の家に廟を建てて、朝夕線香を絶やさないように、1,000マウ(360ヘクタール)の耕地を授けました。殷朝はその後代々644年間あえて出兵することはありませんでした。

 その後、李太祖(リータイトー)が沖天神王(スンティエンタンヴォン)を授け、扶董(フードン)村の建初(キエンソ)寺の隣に廟を建て、ヴェリン(術靈)山に像を彫り、春と秋に大祭を行いました。


 黎朝の淳(トァンデー帝)の治世中、フーロー(扶魯)村に吳芝蘭(ゴチ-ラン)という婦人がいて、よく本を読み、文学に通じ、詩歌が巧みでした。彼女はこの山を散歩している時、詩を作りました。

春の術靈(ヴェリン)に樹は芽吹き雲はたなびく
万の紫、千の紅、艶やかな世界
鉄の馬は天にあり、名は歴史に残る
英雄の威信は山河に満ちる


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