付録第14話 ランダム沢の神の伝説
Truyện vị thần ở chằm Lân Đàm

付録の最終話は、優しい神様の少し悲しい話です。
先生に逆らえず、死んでしまった龍神です。

 ランダムの神は元は龍神でした。昔、神はしばしば人に姿を変え、道を学ぶ先生をたずねました。先生は不思議に思い、神の居場所を探しに行って、沢の中に隠れているのを見つけました。先生はよくきびしい質問をしました。神は真実を言いました。「今年は天上で雨を降らせないことを決めました。」先生は神に雨を降らせるよう懇願しました。神はしぶしぶ聞き入れました。

 沢では気候が変動し、先生は沢に行って、神が硯の中の水を吹いて、干ばつをなくすために雨にしているのを見ました。天帝はその事が暴露されたとして、神を罰しました。神の死体は沢に浮かび、先生はそれを集めて埋葬し、その沢を龍沢(ロンダム)と名付けました。後の時代にランダムになりました。

 神は威厳があり霊験あらたかです。この寺院は、タインダム県のランダム村にあります。代々、神は中級神として称号を与えられています。

付録第13話 布擺(ボーバイ)村の神の伝説
Truyện vị thần làng Bố Bái

龍王の妻の不倫の子どもを育てて
一族が助けられる話
昔のベトナムの女性は自由ですね

 布擺(ボーバイ)村の神布擺(ボーバイ)は、炎?龍(ビェムロン)の精です。
 昔、ハーホン道のハンキェウ村には、ダン家に2人の兄弟がいて、1人はティエンミン、1人はティエンサという名前でした。2人が海に魚を捕りに行くと、木に似ている奇妙な物体がありました。長さは3尺以上、色はカラスの玉子のようで、波の上でゆらゆらと浮いています。兄弟は拾って持ち帰りました。夜になると、突然、物体の中から音が聞こえ、兄弟は怖くなって、すぐに水の流れに投げ捨て、別の船に行って寝てしまいました。

 その夜、兄弟が夢を見ると、1人の人が来て言いました。「私は東海龍王(ドンハイロンブオン)の妻で、つい炎?龍王(ビェムロンブオン)と通じてしまい、彼の子どもを産みました。私は東海龍王(ドンハイロンブオン)に知られるのをおそれて、あなたたちに託しました。どうかそれを守って大切にしてください。誰かに傷つけられることがあってはいけません。それが大きくなったら、あなたたちに福があるでしょう。」兄弟がびっくりして目を覚ますと、さっきの木が船といっしょに漂っていて、見て、運んで元に戻しました。

 家に着くと、兄弟は布擺(ボーバイ)の地に泊まって休みました。すると木が突然船から地面に飛びうつりました。兄弟は祠を建て、崇拝するために木で像を作り、それを龍君(ロンクァン)と名付けました。

 陳(チャン)朝の代に、王は従者を海に潜らせて真珠を探しました。従者は何も見つけることができず、ただダン家の子孫だけがたくさんの真珠を見つける事ができました。従者が理由を聞くと、ダン家の人は昔の話を明らかにしました。従者が王に報告すると、王は儀式と音楽、彫像の行進を行わせました。以来、たくさんの真珠が取れるようになりました。王は、神に報酬を与え、称号を神珠龍君(タンチャウロンクァン)とし、利済?霊通慧信龍君(ロイテーリントンフエティンロンクァン)の地位を授けました。

 この寺院はクインコイ県の布擺(ボーバイ)村にあります。寺院の東には、広い墓地があり、元は、昔彫像が作られた場所です。それぞれの王朝を通じて、神はいつも称号を与えられてきました。 今日に至るまで、非常に霊験あらたかです。

付録第12話 仙遊(ティェンズ)県の金の牛の話
Truyện con trâu vàng ở huyện Tiên Du

中国にある仙人の話
+金の水牛の話洪水など自然災害から来ているのでしょうか

 むかし、上古の時代、王質(ブォンチャット)という人がいて、山に薪を切りに行って、碁を打っている2人の仙童に出会いました。2人の仙童が質(チャット)にナツメの種を与えると、彼は食べて空腹を感じることがなくなり、斧を置いて碁を打つのを見ま

した。仙童は質(チャット)に言いました。「あなたの斧の柄が粉々に消えてしまったよ。」(鉄の刃は残ったが木の柄は古くなってなくなった)質(チャット)は下を向いていて、顔を上げた時には、もう仙童は見えませんでした。

 彼が家に帰って見ると、地上の世界の昔からの知り合いに会うことはもうできませんでした。(地上の時間が過ぎてしまった。)この事跡のため、人々はこの山をまさにランカー山(斧の山)、または仙遊(ティェンズ)山(仙人が遊ぶ山)と呼び、その名をとって県の名を付けました。仙遊(ティェンズ)県には、旧跡が残っています。

 仙遊(ティェンズ)山には、金の水牛の精がいて、夜中になるといつも光を放ちました。ある僧侶が錫杖(しゃくじょう)を取って水牛の額を祓うと、金の水牛が走って逃げ地面に激突し、地面が崩れ池になりました。この場所は後に觸?(フック 角がぶつかる)村と呼ばれるようになりました。

 水牛は文(蚊)河?(バンザン)の地領に走って行ったので、ここには 水牛は文(蚊)河?(バンザン)の地領に走って行ったので、ここには

付録第11話 望夫(ボンフ)山の神の話
Truyện thần núi Vọng Phu

とても有名な悲しいお話しです。
色々なバージョンがあります。

 望夫(ボンフ)山は、武昌(ブースオン)県にあり、順化(トァンホア)道の海の口にあります。むかし、森の中で木こりとして働いていた男の子と女の子のきょうだいがいました。兄は木を切っていて、手をすべらし妹の顔にぶつけてしまいました。 妹はあまりの痛さに地面に倒れてしまいました。 兄は妹が死んだと思い、怖くなって逃げて遠くに行きました。
 妹はある老人に助けられ育てられました。大人になると非常に美しくなり、昔とは見違えるようでした。老人が亡くなった時、妹は結婚しましたが、夫は自分の兄でした。兄は妻が妹であることを知らなかったのです。彼は妻のひたいに傷跡があるのを見て、その理由を聞きました。妻は言いました。「私が子どもの頃、兄について森に行って木を切りました。兄は誤って私のひたいの真ん中を切って、逃げてしまいました。兄がどこで生きているか、死んでいるかわからないのです。」
 兄は妻が自分の妹であることに気がつきました。でも、すでに夫婦として結ばれていたので、心配ではっきり言うことができず、商売に行くという口実で、出かけて二度と戻って来ませんでした。
 妹は夫が自分の兄だとは知らず、毎日待って、やがて死んで岩になってしまいました。人々はその石を望夫(ボンフ)岩と呼んでいましたが、やがて、その岩を神聖なものと見なし、崇拝する寺院を建てました。

付録第10話 鴻嶺(ホンリン)山の神の伝説
Truyện vị thần núi Hồng Lĩnh

不思議な仙女の伝説です

 鴻嶺(ホンリン)山は乂安(ゲアン)道にあります。かつて、羅山(ラソン)県で、4人の木こりが山に行って、山の中の湖で平らな岩の上で水浴びする1人の美しい人を見ました。美しい人は4人を見て、急いで湖に飛び込みました。すると、突然、大きな亀が水面に浮かんできたので、4人は恐れて、湖に取った物をたくさん残して逃げました。

 4人が1日中歩いても進まずに過ぎると、突然異人がやって来て言いました。「取った物を置いていくなら、ここから出られる。家に帰ったら山の中での話は誰にも知らせてはならない。」その後、話を漏らした人があって、その人は血を吐いて死んでしまいました。

 神宗(タントン)帝の代に、王はこの山に来て、山頂に道標を建てました。山には90の峰があります。湖を見る事ままったくできずに、波が打ち寄せる音だけを聞きました。天気はほどなく雨になりました。神に非常な霊能があるのがわかって、王家は礼拝をするよう命じました。今日でも、人々は昔の話を語ります。

 その場所は、乂安(ゲアン)省徳光?(ドゥククアン)府羅山(ラソン)県の鴻嶺(ホンリン)山で、現在は宜春(ギスアン)と干祿(カンロク)の2つの県となっています。

付録第9話 應天化育后(ウンティェンハウトゥホアトゥ)神の伝説
Truyện Ứng Thiên Hóa Dục Hậu Thần

有名な土地神(后土)さま
神様の名前は昇級によって
だんだん長くなるので困ります

 この神は、もともとは我々のベトナムの国の守り神でした。聖宗(タイントン 1023-1072)の代の神武(タンボー)元年(1069)、王は占城(チェムタイン)の国を征服に行き、ホアンハイ海の口に到着すると、突然大雨が降り、風が強くなり、遠目に山のように見える荒波が押し寄せました。王の船と兵士の船は共に、船着き場に行けずに、海岸に船を停泊させなければなりませんでした。

 その夜、夢の中で、白い上着と赤のズボンを着て、薄化粧の優雅ななりの女性が船に乗り込み、言いました。「私はこの土地の精で、魂は長い間木の上にとどまっていました。今、王が出陣する機会にあって、勝利を収めるために、志願して共に行きます。」言い終わると、どこにも姿はありませんでした。

 王は目を覚まし、大臣や顧問たちを集め、この話をしました。慧生?(フエシン)という法王がいてこう言いました。「神は木の上にいるとおっしゃいました。ですから確実に祈願すると安心でしょう。」そして親しい人を送り、海岸の山のあちこちを探させ、偶然、夢で見た神と同じで、人の形をした木を見つけて、王の船に引き上げさせ、香を焚いて祈り、その号を后土婦人(ハウトゥフーニャン)としました。

 しばらくすると、風は静かに波は穏やかになり、順調に海上を運行し、もう波風の害を恐れることはありませんでした。
 王が神を元の岸に置こうとすると、すぐにまた波風が荒れはじめました。慧生?(フエシン)は言いました。「神の意思は、岸にとどまることを望んでいません。」それで、都に戻るために、海の波が静まるよう祈り、神に乞いました。都に着いた時、安郎(アンラン)村に寺院を建てました。

 陳英宗(チャンアイントン 1276-1320)の代になって、干ばつがあり、王は祈願のために祭壇を作るよう命じました。神はお告げをするために王の夢に現れて言いました。「この寺院には句芒?(カウマン)王がいて、雨を降らす術があります。」王は目を覚まし、犠牲をささげるよう命じると、本当に大雨が降り、強い風が吹きました。王は、神を后土大婦人(ハウトゥダイフーニャン)とし、人々に功をなす神として、加封して代々報償を与えました。

 陳(チャン)朝は、神を應天后土神祗元君(ウンティェンハウトゥタンキーグェンクァン)としました。春の節句にはいつも、土牛(トーグー 土で作った牛)を寺院に持ってきて供えるのが、今でも風習となっています。

151 phố Láng Hạ (phường Láng Hạ, quận Đống Đa, Hà Nội), xưa thuộc đất làng An Lãng (huyện Quảng Đức, phủ Phụng Thiên)
写真はBáo Hànộimới

付録第8話 貞烈な媚醯(ミエ)夫人の伝説
Phụ lục 8: Truyện bà phu nhân trinh liệt Mỵ

lang-mo-lang-My-E.jpgチャンパの皇后であったミエ夫人が
自分を欲しがる李太宗(リータイトン)に
文句を言う話。言い方がすごく怖くていいです。

最初、協正佑善夫人でのちに
貞烈が加わって協正佑善貞烈真猛夫人に変えています。
時代で貞操概念も変わったのかもしれませんね
この写真も法律新聞から

 ミエ(媚醯)夫人は占城(チェムタイン(チャンパ))国の王であるサーダウ(乍兜)の妻でした。 李太宗(リータイトン 1000-1054)は占城(チェムタイン)を倒し、サーダウ(乍兜)を斬り、ミエ(媚醯)を捕らえて連れ帰りました。リーニャンの川に着くと、王は使者に命じて夫人を女奴隷にしてはべらせようとしました。夫人は激しく怒り、白い織物をつかんで自分の体に巻きつけ、ホアンザン(黄江)川に飛び込んで死んでしまいました。

 霞のかかる早朝や月の出る夜にはいつも、その川の淵で嘆く声が聞こえます。我が国の人々は、礼拝するための寺院を建てました。

 その後、王たちはリーニャンの地を通過し、龍の船の玉座に座って川を渡り、寺院があるのを見て、臣下に聞きました。臣下は夫人の話について明らかにすると、王はかわいそうに思って言いました。「もし、その真実が神聖なものなら、夫人が私に知らせてくれるだろう。」

 その夜、真夜中になると、夫人は王に夢でお告げをしました。夫人は占城(チェムタイン)の服を身につけ、拝みながら泣きぬれ、嘆いて言いました。「私は女子の道を守ります。心は一つ腹は一つは夫といっしょです。サーダウ(乍兜)は陛下に並ぶ者ではありませんが、この地方では優れた人物です。私はいつも夫の恩義に感謝しております。最近、サーダウ(乍兜)は道をあやまり、上帝は天罰を下し、陛下の手を借りて処罰しました。それで国は粉々に消えました。

 私は日々夫の恩に報いたいのですが、機会がまだありませんでした。私は幸運なことに、ある日陛下にお会いできました。陛下は使者に命じて、私をこの川の流れに送りました。おかげで純潔を守ることができました。この恩は語り尽くせません。私には、神霊であるということを宣言するための、どのような法術もあります。陛下の耳に届く言葉は何でもあります。」言い終わると、夫人は忽然と姿を消し、その姿はどこにもなかった。

 王様は恐怖で目を覚まし、夫人を協正佑善夫人(ヒェップチンフーティエンフーニャン)としました。陳仁宗(チャンチュンフン)の時代に、夫人に対し、さらに烈婦としての貞烈の2字を加え、協正佑善貞烈真猛夫人とし、高潔な純潔さをほめたたえました。

付録第7話 藤州(ダンチャウ)の地の守り神の伝説
Truyện thần thổ địa Đằng Châu

李太祖(リータイトー)がまだ皇帝になる前に
土地の神の寺院を立てる話
その頃は皇帝の座を巡って殺し合いが大変な時代です
彼はお父さんがいなくて、お寺で育ったのだそうです

phuluc7 denmay.JPGVOV

 この神は元々は藤州(ダンチャウ)の地の古い廟の守り神でした。黎太祖(レータイトー)は、当時はまだ領主でした。そして軍を集めて、藤州(ダンチャウ)で新しい集落を作っていました。ある時、王が散策していると、この村に着き、川の真ん中を進んでいる船が、突然大雨と暴風に遭遇し、そこに停止しなければなりませんでした。

 王が、「川岸にある寺院は何か。何か霊能はあるのか。」と聞くと、答える者がありました。「それは藤州(ダンチャウ)の地の守り神の寺院です。この地の人々は河の州の雨が止むことを祈り、非常に霊験あらたかです。」王は大声で言いました。「もし大雨が降って、川のこちら側半分が止むならば、それは実に英霊である。」すると、あっという間に川の半分が雨になり、半分では止みました。王は畏敬の念を感じ、寺院の改築を命じ、香を焚き崇拝しました。

 村の人々には、このような詩があります。

立派な大王の大いなる威信よ、
藤州(ダンチャウ)の地に神霊は顕れる。
暴風も雨も侵すことはできない、
あちらでは雨が降ってこちらでは晴れる。

 王は、自分がうぬぼれた気持ちをもっていた事に気づきました。その後、黎臥朝(レーゴチェウ 986-1009)が亡くなって機会が訪れました。王は大事の策略を巡らそうとして、寺院に隠れ、霊能があらわれるのを待ちました。

 ある夜、夢の中に、異人が来て言いました。「望む意志を持っていれば、あなたは成功するでしょう。すべての方向は順調であり、万国は太平を享受し、3年の間、人々の事業は順調で7つの寺院は安定するでしょう。」王は夢から覚めましたが、まだそれが何を意味するのか理解できませんでした。その夢は吉兆だという人もいました。
 王はダンチャウ(藤州)を太平(タイビン)府として格上げし、開天城隍?(カイ ティエンタインホアン)大王をその神としました。重興(チュンフン 1285-1293)元年に、陳(チャン)朝は、カイティエンチャンコック(開天鎮國)の称号を与えました。

 寺院は堤防の内側にあり、しばしば洪水で浸水します。川沿いの村の人々は、いつも見守っていて、荷車や馬、雨傘、大笠をもち、堤防を守りにいくような姿の1人の人が仕えています。ですから堤防が低くても水が災いを起こすことはありません。

 何年もたって、川の水は寺院の高さまで上がって来ました。統元(トングエン 1522-1527)の丙戌(ビントゥァット)の年、村人たちは堤防の上に寺院を建てることを計画しました。全員が到着すると、寝殿がほぼ完成していました。郡役人も村人も草むらの丘の上で寝ました。すると誰かが地面を掘るための道具を持ってやってくるのが見え、お互いが仕事だと呼びあう声を聞きました。朝になると、柱や岩が堤防から離れて左に移動しています。本当に霊能あらたかです。
 その後、神々の行列の日に、コアイチャウの知事のホアンナムキムは寺院について次の詩を吟じました。

州の土地は実に雄大で
開天の社は水害を抑える。
社は本当の奇跡を起し、
一夜にして神の技で移動する。


 (興安(フンイェン)省?)キムドン(金洞?)県藤州(ダンチャウ)村の廟は、現在は雲王(ブアマイ)廟として知られています。

付録第6話 洪聖(ホアンタイン)大王の物語
Phụ lục6: Truyện đền thờ Hoàng Thánh Đại Vương

hoangthanh.PNG今回も、昔の英雄が神様になるお話しです。
主人公の巨倆(クルオン)の時代は
ベトナムの権力関係がとてもとても複雑なので
ひまがあれば年表と相関図を書いて理解したいと思います。

写真は法律新聞の記事です。裁定の神ですから。

 洪聖(ホアンタイン)大王は、黎大行(レーダイハイン 980-1005)帝の治世の范巨倆(ファムクルオン 944-984)のことです。巨倆(クルオン)は南冊(棚)(ナムサック ※海陽(ハイズオン))の人で、祖父はチェムと言い、呉(ゴ)朝のドン ザップ(銅甲?)将軍を務め、倆(ルオン)の父はマンといい、呉(ゴ)朝の南晉王(ナムタンブオン ※呉昌文 (ゴスォンバン)の治世中に高官を務め、兄のディンは、丁(ディン)朝の衛尉(えいい ベウイン)将軍でした。

 丁(ディン)帝がまだ幼かった頃、宋(トン)軍が侵攻してきました。大行(ダイハイン)は将兵を集めました。丁(ディン)太后は英雄を選んで宋の侵略者と戦うよう命じました。大行(ダイハイン)は巨倆(クルオン)を大将軍に任命しました。抵抗するために兵を上げて出兵する時、巨倆(クルオン)は将兵を支配し、大行(ダイハイン)を皇帝としました。倆(ルオン)は大尉の職につきました。

 李太祖(リータイトー1000-1054)の通瑞(トントゥイ)の年(1034-1039)、王は都護府に多くの疑わしい事があるのを知りましたが、役人はそれを解決しません。そこで王は自ら神を立て各案件の裁定に専念することを欲し、すべての策略がわかるよう霊験でそれを明らかにし、身を清め、香を焚き、上帝に祈願しました。

 その夜、夢を見て、赤い服を着た使者が、巨倆(クルオン)を都護府の各裁判官の主に任命するという神の上帝の命令を伝えました。王は使者に聞きました。「その者は誰で、役職は何でしょうか。」すると使者は答えました「黎大行(レーダイハイン)帝の時の大尉の職です」。王は夢から覚め、廷臣に聞きました。

 事が明らかになった時、倆(ルオン)を洪聖(ホアンタイン)大王としました。そして臣下に命じて、街の南門の西に寺院を建てさせ、洪聖大王(ホンタインダイブオン)と名を変えて崇拝しました。そして監獄の神として代々崇拝されています。

付録第5話 朔天王(ソックティエンブォン)殿を建てた国僧の伝説
Phụ lục5: Truyện quốc sư xây đền Sóc Thiên Vương

densoc.jpg本編にもある朔天王にちなむ道場(武殿)を
建てた話です。
写真はBáo Công An Nhân Dân

đền vũ 武殿 がよく出てくるんですけど
カンフーに出てくる寺みたいな
ものでしょうか??

 黎大行(レーダイハイン 980-1005)の時代に、匡越(クォンビェット)大師、すなわち吳真流(ゴーチャンリュー)は、よく平魯?(ビンロー)村を散策しました。ここの美しい静かな風景を好み、庵を建ててそこに住みました。

 真夜中、大師が夢を見ると、金をまとった神が、鉄の馬に乗り、左手に金の槍を持ち、右手に宝剣を持ち、十数人がしたがって、恐ろしげな表情で来て言いました。「私は毘沙門(ティサーモン)大王であり、従う者はすべて夜叉(ザトア)の神である。天帝は、私を北の国に送りそこにいる人々を守るよう命じた書を持っている。元々我々は互いに縁があったので、知らせるためにここに来たのだ。」

 大師が驚いて目を覚ますと、山から叫ぶ声が聞こえました。心の中が恐れでいっぱいになり、人を山に行かせ、頂上によい雲に囲まれた大木を見ると、それを切り倒し、職人に命じて夢で見た通りの神の像を作りました。その後、寺院を建て、香火を絶やさず崇拝しました。

 天福(ティエンフック)元年になると、宋(トン)軍が略奪に来るので、軍に行くように頼みました。その時、宋(トン)軍はタイケット村に駐留していましたが、両軍ともまだ交戦はしていませんでしたが、宋軍は見て非常に恐れ、退却して、大江(?ダイザン)を維持しました。再び波が荒れる時期になり、蛟龍が水面にあらわれ、敵軍は崩壊した。

 帝は神の霊を感じ、道場を建て、北を鎮めるために、朔天王(ソックティエンブォン)としました。寺院は金華(キムホア)県ヴェリン(術靈)村にありいつも崇拝が絶えることはありません。

 人々は董天王(ドンティエンヴォン)は敵を倒した後、鉄の馬に乗ってヴェリン(術靈)山のガジュマルの木まで来て、服を脱いで天国に昇って行ったと言います。今でも人々はこの木を「着替えの木」と呼んでいます。礼拝するときには、精進物だけを捧げます。

 李(リー)朝になると、崇拝の便のために、新しく道場が建てられました。西湖の東において、北を鎮めるためです。そして、福の神として崇拝され、西湖のニャットクアにあります。