第2巻第15話 蠻娘(マンヌォン)の伝説

Phap_Van_chuaDau.jpg・寺の下働きをしていた耳の聞こえない娘が、高名な阿闍梨(あじゃり)の子どもを妊娠してしまい、阿闍梨(あじゃり)が赤ちゃんを木の洞に捨てると、石になって、その石で仏像を作るという話。娘は人を助け尊敬されていたと。
・いや、なんと反応していいのか。日本もそうでしたが昔の命は軽いです。
・子宮外妊娠で胎児が石化してしまう場合があるそうですが、その状態の人がいたのでしょうね。
・蠻娘(マンヌォン)のマン(蛮)の意味は粗野、または素晴らしいという意味で、下働きの娘をそう呼んだのかもしれませんし、他の話では敬虔な仏教徒の両親を持つ娘となっているので素晴らしい、かもしれません。

●蠻娘(マンヌォン)の修行
 漢(ハン)の獻帝(ヒェンデー)の治世に、交趾(ザオチー)の太守の士燮(シーニェップ)は、平江(ビンザン)川(現在の天徳江(ティエンドックザン))の南岸に首都を置きました。
 城塞の南には仏教の寺があり、西方から来た僧侶である伽羅闍梨(ザーラドーレ)がその寺の住職でした。彼には1本足で立つ術があり、誰もが尊敬して尊師(トンスー)と呼び、みんなが来て道を学びました。
 当時、蠻娘(マンヌォン)という娘がいて、両親が亡くなり、非常に貧しくしていました。仏の道を学ぶことを求めて寺に行きましたが、吃音があったため、経を読むことができませんでした。そこで厨房にいて米をといだり、野菜を採って煮炊きをして、寺院の僧侶やあちこちから学びに来る客に出しました。

●蠻娘(マンヌォン)の妊娠
 5月のある夜、夜は短く、僧侶たちは雄鶏が鳴く時まで経を唱えました。蠻娘(マンヌォン)はお粥を作りましたが、僧侶たちの読経は終わっておらず、まだ粥を食べに来ませんでした。媚娘(マンヌォン)は台所の入り口に寄りかかって、ふいに深い眠りに落ちました。僧侶たちが読経を終えると、各自の部屋に戻りました。媚娘(マンヌォン)は入り口の真ん中で眠っていて、僧侶の闍梨(ザーラ)は歩いて媚娘(マンヌォン)の体をまたいで過ぎました。媚娘(マンヌォン)は自然に妊娠してしまいした。妊娠して3、4か月になり、媚娘(マンヌォン)は恥じて寺を去りました。僧侶闍梨(ザーラ)も恥ずかしくて出て行くのをそのままにしました。

●闍梨(ザーラ)が芙蓉の木に赤ちゃんを捨てる
 媚娘(マンヌォン)は川の合流点にある寺院に行って、そこにとどまりました。月が満ちて女の子が生まれ、僧侶闍梨(ザーラ)をたずね子どもを渡しました。夜になると、僧侶闍梨(ザーラ)は女の子を三叉路に運び、枝葉の茂る芙蓉を見ると、深くて清潔な穴があったので、そこに子どもを置いて言いました。「私は仏にこの子を送る。あなたはこれを収め、仏道をなそう。」

●蠻娘(マンヌォン)が人々を救う
 闍梨(ザーラ)と媚娘(マンヌォン)はとわの別れを告げて分かれました。闍梨(ザーラ)は媚娘(マンヌォン)一本の杖を与えて言いました。「お前にこれを与える。お前が家に戻り大きな干ばつに遭ったときは、この杖を地面にさせば、地上に水が湧き、人々の命を救うだろう。」媚娘(マンヌォン)は拝んで受け取り、住んでいる寺に戻りました。

●芙蓉の木が流れてくる
 大きな干ばつが来ても、杖を地面に突き刺せば、自然に水が湧き出して、人々は助かることができました。媚娘(マンヌォン)が90歳を超えた時、芙蓉の木が倒れて、寺の前の川岸に流れてきて、流れ去ることなく漂っていました。人々はこれを見て、拾って薪にするためにそれを切ろうとしましたが、どの斧も壊れてしまいます。それで村の300人以上の人々を連れてきて木を引き上げようとしましたが、動かせませんでした。
 媚娘(マンヌォン)が川辺に降り手を洗ったとき、戯れに木を引っ張ってみると動きました。みんなは驚いて、媚娘(マンヌォン)に岸に上げるよう頼んで、4つの仏像を彫るために職人を頼みました。木を切って女の子がいる場所になると、それは非常に固い岩に変わりました。職人たちは斧を使って岩を砕きましたが、斧はすべて欠けていました。職人たちは石を川に投げ込みました。するとまぶしく光り、石は長い時間かかって水に沈みました。職人たちはみんな死んでしまいました。

●石になった赤ちゃんで仏像を作る
 人々は媚娘(マンヌォン)に拝むよう頼んで、漁師を雇って水に飛び込ませ、岩を拾い上げ、寺に持っていき、仏像の中に置きました。仏像は自然に金におおわれて見えました。僧侶闍梨(ザーラ)は仏像を法雲(ファップヴァン)、法雨(ファップヴゥ)、法電(ファップロイ)、法雷(ファップロン)と名付けました。あちこちで祈祷を行い、どんなことにも応じました。 村人たちは、媚娘(マンヌォン)を仏の母と呼んでいます。
 4月4日、媚娘(マンヌォン)は病気ではないのですが、亡くなって、寺の中に埋葬されました。人はこの日を仏陀の誕生日とみなします。毎年、その日には、あちこちの男女がこの寺に集まり、歌と踊りで遊びます。これは仏浴会(ホイタムファット)と呼ばれています。

第2巻第14話 徵(チュン)姉妹の伝説

とても有名な、軍を率いて戦った徴(チュン)姉妹の話です。

haibatrung.jpg●2人の姉妹
 「史記」によると、徴(チュン)姉妹は雄(フン)氏の一族で、姉の名は側(チャック)妹の名は弐(ニ)と言い、峰州(フォンチャウ)の地の麊泠(メーリン)県出身で、交州(ザオチャウ)の将の雄(フン または貉)官の娘でした。側(チャック)は、朱鳶(チュージェン)県出身の詩索(ティサック または謝素)と結婚して、夫のために人として正しい道を守り、勇気があり、事を決断する力がありました。
 当時、交州(ザオチャウ)の長官の蘇定(トーディン)はひどく貪欲で乱暴で、人々はとても苦しみました。

●長官を倒す
 側(チャック)は定(ディン)が夫を殺した仇を討つために、妹の弐(ニ)と共に兵をおこし、定(ディン)を打ち、交州(ザオチャウ)を攻め落としました。九真(クーチャン)、日南(ニャットナム)、合浦(ホップフォー)の各郡すべてがこれに応え、2人の姉妹は嶺外(リンゴアイ 中国から見て南方)の65の都市を平定し、王としての地位を確立し、自らを稱徵(チュンブォン)氏と名乗り、都を烏鳶(オジェン)城に置きました。
 蘇定(トーディン)が南海(ナムハイ)に戻ったとき、漢光武(ハンクアンヴー)は知らせを聞いて、儋耳(ダンニー)郡に戻った蘇定(トーディン)をやめさせ、馬援(マービェン)と劉隆(ルーロン)を将軍として代わりに送りました。

●中国の援軍に敗北
 敵軍は浪泊(ランバック)に到着し、夫人は抗戦しました。年が過ぎ、馬援(マービェン)の兵力が強いのを見て、夫人は烏合の衆の自分たちの軍隊の力では抵抗できないと恐れがあると考え、禁溪(カムケ)の地を維持するために撤退しました。
 援(マービェン)の軍は攻め込んで来て、徴(チュン)夫人の部下はみな逃げました。夫人の勢力は孤立して、陣地は陥落しました。夫人が希山(ヒーソンまたはハーソン)に登ったも言われますが、どこに行ったかはわからないのです。
 世の人は悲しんで、喝江(ハットザン)川の河口に夫人を祀るために社を作りました。災難や病気の人は来て祈祷すると、霊験があります。

●姉妹の廟の修復
 李英宗(リーアイントン)の時代に干ばつがあっって、王は禅師の感淨(カムティン)に雨乞いの祈祷を命じました。ある日雨が降り、寒さが人を凍えさせました。王は喜んで、それを見に出かけ、突然に眠りに落ち夢を見ました。2人の女性が芙蓉の冠をかぶり、緑の服に赤い帯を締め、鉄の馬に乗って風に乗って通り過ぎていきます。王が驚いて聞くと2人は答えました。「私たちは徴(チュン)姉妹で、上帝の命によって雨を降らます。」
 王はさらに助けを求めました。2人は手をあげて止めました。王は夢を覚えていて、深く感じ入り、社を修復し、心を込めて祀るよう命じました。
 その後、2人の夫人は王の夢に現れ、ドンニャン(同僚?)浜(古來郷?)に社を建てるように頼みました。王は聞いて従い、貞霊二婦人という名を与えました。
 陳朝(チャンチエウ)は、再び「顯烈制勝純保順(ヒェンリェットチェータントゥァンバオトゥァン)」の美しい字の称号を授けました。今に到るまで代々崇拝されていて、お香の火が絶えることはありません。

第2巻第13話 金の亀の伝説後半 媚珠(ミーチャウ)と仲始(チョントゥイ)の悲恋

ehon1_1.jpgこれはとても有名な悲恋の物語
政略結婚した媚珠(ミーチャウ)と仲始(チョントゥイ)ですが、仲始(チョントゥイ)が石弓の亀の爪を取って行ったため、安陽王(アンズォンヴォン)は負けてしまいます。
そして媚珠(ミーチャウ)は殺され真珠になり、仲始(チョントゥイ)も悲しんで後を追います。血の色なので黒真珠なんでしょうね。

●亀が帰還し爪で石弓を作る
 金の亀は3年間そこにいて、別れを告げて帰りました。王は感謝して言いました。「あなたのおかげで城ができました。もし外敵が来た場合、何をもって防げばいいでしょう。」金の亀は、「国の盛衰、社会の危険と安全は、天の意志によるものです。人は徳を積み、この幸運を延ばすことができます。しかし、王が望むならどうして惜しいことがあるでしょう。」それから彼は爪を外して王に渡して言いました。「これを使って石弓を作ってください。これで敵を撃てば、心配することはありません。」そう言い終えると東海に戻りました。
 王は皋魯(カオロー)に命じ爪を使って石弓を作させました。これは霊光金亀(リンクアンキム)神機の石弓と呼ばれます。

安陽王(アンズォンヴォン)と趙佗(チェウダー)の戦いと和睦
 その後、佗(ダー)の趙王(チェウブォン)は兵を挙げ、安陽王(アンズォンブォン)と戦いを交えました。王は神機の石弓を取り出して撃ちました、佗(ダー)軍は大敗し、鄒山(チャンソン)に退却し、同盟国に砦を置きました。戦いを挑む事ができなかったので、趙王(チェウブォン)は講和を求めました。
 安陽王(アンズォンブォン)は喜んで、椒江(ティエウザン)川の北は趙佗(チェウダー)に属し、南は王が支配すると約束しました。ほどなく、佗(ダー)は結婚を求めました。王は深く考えずに、娘の媚珠(ミーチャウ)を、佗(ダー)の息子の仲始(チョントゥイ)と結婚させました。

●仲始(チョントゥイ)の裏切り
 仲始(チョントゥイ)は媚珠(ミーチャウ)を手なずけて神機の石弓をこっそり見ると、潜んで行って金の亀の爪を別の物を作って交換しました。そして、父親を訪ねるために北に行ってくると嘘をつきました。
 「夫婦の愛情は忘れることはできないし、父母の親愛も捨てることはできない。私は今に国に帰りますが、もし両国の和平がうまくいかなくて、南北に離れるときがあれば、あなたを探しに来ます。その時の印は何にしますか。」彼女は答えました。「私は女子ですから、離ればなれになることは、耐えがたいつらさです。私は鵞鳥の羽毛の錦織の上着を持っていて、いつも着ています。どこへ行っても、羽毛を抜いて置いて、三叉路の道を示します。そうすれば、お互いを救うことがでるでしょう。」

●安陽王(アンズォンヴォン)の敗北
 仲始(チョントゥイ)は魔法の機械を国に持ち帰りました。「佗(ダー)は大喜びで、戦うために挙兵し、安陽王(アンズォンヴォン)を攻めました。
 安陽王(アンズォンヴォン)は神機の石弓を頼みにして、静かに将棋を打ち、笑って言いました。「佗(ダー)は神機の石弓を恐れていないのか。」佗(ダー)軍は迫ってきて、王は石弓を取りましたが、神の力が失われたのがわかって、逃げました。
 王は媚珠(ミーチャウ)を馬の後ろにのせ、南に向かって走りました。仲始(チョントゥイ)は鵞鳥の羽毛を見て、追いかけて来ました。王は海岸に着きましたが、道がなく渡る船もなく、困って叫びました。「天よ困ります。清江(タインザン)の使いはどこにいますか。急いで来て私を救ってください。」すると金の亀が水面に浮かんできて叱りました。「馬の後ろにいる者は敵だ。」
 王は媚珠(ミーチャウ)を切るために剣を抜きました。媚珠(ミーチャウ)は誓って言いました。「私は父の娘です。父に対して反逆する気持ちがあるなら、父に殺されて死んで塵になるでしょう。もし、忠孝の心があって他の人にだまされたのなら、死んで真珠に変わり、恥辱を雪(そそ)ぐでしょう。」

●媚珠(ミーチャウ)の真珠
 媚珠(ミーチャウ)は海岸で死に、血が水に流れ、その血を吸った貝から真珠が生まれました。王は七寸文犀(スンテーバイタック 宝物か)を持ち、金の亀は水を割って王を海に導きました。その場所は、演州(ジエンチャウ)府、高舍(カオサー)荘、夜山(ダソン)の地と言われています。
 佗(ダー)軍がそこに着きましたが、何もなく、媚珠(ミーチャウ)の体だけが残っていました。仲始(チョントゥイ)は妻の遺体を抱きしめ、螺城(ロアタイン)に運んで埋葬すると、遺体は翡翠に変わりました。媚珠(ミーチャウ)が亡くなり、仲始(チョントゥイ)は悲しみ、水を浴びているときに媚珠(ミーチャウ)のような姿を見て、井戸に身を投げて死にました。
 後の時代の人は、東海の真珠をこの井戸の水で洗います。すると非常に明るく美しくなるからです。真珠の名は大玖(ダイクー)、小玖(ティエウクー 黒く光る)と呼びました。媚珠(ミーチャウ)という名前を敬って避けるからです。

第2巻第13話 金の亀の伝説 前半 螺城の築城

ruavang.png今回も荒唐無稽な幽鬼との戦い、いろんな魔法アイテムが登場します。
文郎(ヴァンラン)が滅び、甌貉(オーラック)国になりますが、城がうまく建設できないので、神に祈ると金の亀が助けに来ます。
安陽王(アンズォンヴォン)と金の亀が協力して幽鬼を倒すと無事、城が完成します。(というか土台の工事しっかりしようよ)

●文郎(ヴァンラン)が滅び、甌貉(オーラック)国に
 甌貉(オーラック)国の王である安陽王(アンズォンヴオン)は、巴蜀(バトック 中国四川省)出身の人で、姓は蜀(トック)名は泮(ファン)と言います。かつて先祖が雄王(フンヴォン)の王女媚娘(ミーヌォン)に求婚したのですが、雄王(フンヴォン)が許さなかったので、そのことに恨みを持っていました。
 泮(ファン)は先祖の志を果たすことを望んで、兵を挙げて雄王(フンヴォン)を攻め、文郎(ヴァンラン)国を滅ぼし、国の名を甌貉(オーラック)に改め、その王になりました。そして越裳(ヴィェトゥオン)の地に城塞を建てましたが、築いても崩れてしまいます。

●金の亀の来訪
 王は祭壇を作り、斎戒して、百の神々に祈りました。3月7日になると、老人が東からやって来て城の門に立つのが見えました。彼は嘆いて言いました。「この城はいつ建て終わるのか。」王は喜んで彼を宮殿に迎え入れ、挨拶をして聞きました。「私はこの城を何度も建てましたが何度も崩れて、多大な労力を要しましたがまだ完成しません。いったいなぜでしょうか。」老人は「清江(タインザン)からの使いが来る。王といっしょに築けば成功するだろう。」そう言い終わると去って行きました。
 翌日、王が東門に行って待つと、突然、金の亀が東から来て水面に浮かんでいるのが見えました。亀は人語を解し、「自らは清江(タインザン)の使いで、天と地、陰と陽、鬼と神についてよく知る者だ。」と言いました。王は喜んで言いました。「老人が事前に知らせてくれた通りです。」
 そして金の亀を輿(こし)にのせて城に入り、殿上に座るように招き、なぜ城塞を建てることができなかったのか聞きました。
 金の亀は、「この山に宿っている精気は、前王の息子の霊で、国の仇を討ちたがっています。また白いにわとりが千年生きて妖怪となり、七曜(タットジェウ)山に隠れているのです。」「山には幽鬼がいて、それはここに埋められた前の時代の楽士の魂です。近くに旅行者のための宿があり、主人は悟空(ゴコン)という名です。娘が1人いて、また白いにわとりもいますが、実は幽鬼の気の残った姿で、旅行者が宿に泊まると、幽鬼は何千もの形に変化して害をなし、多くの人々が殺されるのです。」
 「今、白いおんどりは宿の主人の娘と結婚しています。もしおんどりを殺すことができるなら、幽鬼は滅ぼせるでしょう。彼は陽の気を集めて妖魔の書に変え、オウムがその書を持って栴檀の木の上を飛んで、天の神に城塞を破壊するように頼むのです。私がかみついてこれを落とし、王がすばやくそれを拾って取るならば、城塞を完成させることができるでしょう。」

●宿屋での幽鬼との戦い

 金の亀は王に旅行者のふりをして宿に泊まり、金亀を門の上部に置くように言いました。悟空(ゴコン)は言いました。「この宿には妖魔がいて、夜になるとよく人を殺す。今日はまだ日が暮れていないから、あなた様は泊まるのはやめてすぐに行ってください。」王は笑って「死も生も運命、幽鬼に何ができるか、私は恐ろしくはない。」と言うと、宿に留まりました。
 夜になると、外から幽鬼がやって来て呼びました。「そこにいるのは誰だ。早く門を開けないか。」金の亀は「門は閉まっているぞ。お前は何をするつもりだ。」と叫びました。すると幽鬼は火を放ち、千の形、万の状態に変化し、幾千万の怪異で脅迫しようとしましたが、中に入ることは結局できませんでした。
 朝になってにわとりが鳴くと、幽鬼は逃げ去ってしまいました。金の亀は王と共にこれを追いかけて七曜(タットジェウ)山に向かいます。幽鬼の体は縮まって消えてしまいました。王は宿に戻りました。
 翌日の朝、宿の主人は宿泊した客の死体を埋葬するために人を行かせましたが、王が依然として笑っているのを見て、みんなで拝んで言いました。「あなた様が安全でいられるなら、聖人に違いない。」そして、人々を救うためにこの神の術を教えてくださいと頼みました。

●白いニワトリを殺し、幽鬼の書を奪う

 王は言いました。「お前たちが白いにわとりを殺して犠牲に捧げれば、幽鬼は消え去るだろう。」悟空(ゴコン)はこれに従い、白いにわとりを連れてきて殺すと、娘も倒れて死にました。王は七曜(タットジェウ)山を掘り、古い楽器と骨を燃やして灰にし、川に捨てるよう命じました。
 空が暗くなると、王と金の亀は越裳(ヴィェトゥオン)山に登り、幽鬼が6本足のオウムに変身して、書をくわえ栴檀の木の上に飛ぶのを見ました。金の亀は黒いネズミに変身し、オウムを追いかけ足を噛むと、書は地面に落ち、王はすぐに拾い上げ、バラバラに引き裂きました。

●幽鬼の滅亡と、螺城の完成

 それ以来、幽鬼は滅亡しました。城塞は半月あまりで建てられて完成しました。その城塞は広さが千丈を超え、タニシのようにらせん状にねじれているため、螺城(ロアタイン たにしじょう)と呼ばれました。また曰思龍(トゥロンタイン)城とも呼ばれます。唐(ドゥォン)の人々はそれを昆侖(コンロン)城と呼んでいました。おそらくそれが非常に高いからです。

第2巻第12話 越井傳 越井(ゼンヴィェト)の伝説

・役人崔亮(トイルォン)の息子偉(ヴィー)が、
仙女に仙薬をもらったり、
恋愛して殺されそうになったり、
洞窟に落ちて白蛇に助けられたり、
最後に宝石をもらって金持ちになったりする ファンタジー
・白蛇、仙女、美しい妻、親友、冒険、恩返しが東アジアのファンタジーの基本らしいです。

●崔亮(トイルォン)が殷(アン)王の祠を直す
 越井(ゼンヴィェト)は武寧(ヴーニン)県鄒山(チャウソン)にあります。雄王(フンヴォン)第3代の時代、殷(アン)朝の王が兵を挙げ、南に侵攻し、鄒山(チャウソン)のふもとに駐留しました。雄王(フンヴォン)は龍君(ロンクァン)に助けを求め、龍君(ロンクァン)は天下から天才を探し出せば、敵を追い払えると教えました。ちょうど朔天王(ソックティエンヴォン)が生まれ、鉄の馬にまたがり敵を討ちました。殷(アン)の将兵はみんな逃げました。殷(アン)王は山のふもとで死に、冥界の王になりました。民は祠を建てて祀りましたが、何年も経ち祠は荒廃していました。
 周(チュー)朝が終わり、秦(タン)朝になった時、崔亮(トイルォン)がというこの国の人がいました。秦(タン)朝の役人の御史大夫(グスダイフ 官僚を監査する人)として、しばしばこの地域を通り、荒れ果てた祠を見て同情を感じ、廟を修復しました。そしてこのような詩を作りました。

いにしえの人は、殷(アン)王の道を伝える、
あの年、巡行はここに来たり。
山は秀で水は流れ空の祠が見え、
霊が登った跡にはなおよい香りが残る。
勝敗は1日にして殷(アン)朝の徳を消し、
越裳(ヴィェトゥォン)に偉大な霊を鎮める。
人々はみな心を込めてこれをまつるので、
永遠に国に幸いがあるよう助けたまえ。

 任囂(ニャムヒェウ)将軍の後、安陽王(アンズォンヴォン)の時代、越陀(チェウダー)が将兵を南に侵攻させ、軍を山のふもとに駐留させて、廟のの外観を修理し、手厚く祭祀を行いました。

●仙女麻姑(マーコー)が恩返しに使わされる
 冥土の殷(アン)王は、亮(ルォン)の徳に感じ入り、恩を返したいと考え、仙女の麻姑(マーコー)を地上に使わし、彼を探させました。亮(ルォン)は秦(タン)の国で亡くなって、崔偉(トォイヴィー)という息子はまだ留学中でした。
 正月の15日に、人々がこの祠を訪ねると、そこに人が献上した一対の玻璃(はり)の瓶があって、仙女の麻姑(マーコー)がそれを手に取って見ていましたのですが、突然瓶が地面に落ちて割れて破片になりました。人々は彼女を追いかけて捕まえました。麻姑(マーコー)は破れた服を着ていて、人々には仙女であることがわからないので、彼女を打って辱めました。崔偉(トォイヴィー)はそれを見てかわいそうに思い、自分の服を脱いで与え、彼女を解放しました。
 麻姑(マーコー)が偉(ヴィー)にどこに住んでいるのか聞くと、偉(ヴィー)は父親の来歴を話しました。麻姑(マーコー)は、彼が崔御史(トォイグス)の息子であることを知り、非常に喜んで言いました。「今は恩に報いることができませんが、後できっとお返しします。」
 そして偉(ヴィー)によもぎの葉の束を与えて言いました。「これを大事に持っていて、肌身から離さないください。いずれ頭に腫れ物がある人に会ったら、灸でそれを治しなさい。きっととても豊かになれましょう。」偉(ヴィー)はそれを受け取りましたが、まだ仙薬(せんやく)とは知りませんでした。親友の道士の應玄(ウンフエン)の家に行くと、玄(フエン)は頭に腫れ物ができていました。偉(ヴィー)は言いました。「私はよもぎを持っていてそれを治すことができます。」
 玄(フエン)は治して欲しいと頼み、灸をすると腫れ物は消えました。玄(フエン)は言いました。「これは仙薬です。今は恩に報いることができませんが、別の方法で恩返しさせてください。私はこの病気に苦しんでいる地位の高い親戚を知っています。彼は、病気を治すことができる人には財産を分けても惜しくないといつも言っています。どうかそれを治しに行ってください。それで恩に報います。」

●偉(ヴィー)が仙薬で任囂(ニャムヒェウ)を直す
 玄(フエン)は偉(ヴィー)を任囂(ニャムヒェウ)の家に連れて行き、治療をすると、腫れ物はすぐになくなりました。囂(ヒェウ)はとても喜んで、偉(ヴィー)を養子にして、学校を作り勉強させ、仕事が見つかるまで待つようにしました。
 偉(ヴィー)は聡明で、よく本を読み、琴を奏でました。囂(ヒェウ)の娘の芳容(フォンズン)は、偉(ヴィー)を見て恋に落ち関係を持ちました。
 囂(ヒェウ)の息子である任夫(ニャムフー)はこれを知って、偉(ヴィー)を殺したいと思い、彼を猖狂(スォンクォン)神の犠牲に捧げようとして、だまして言いました。「年末に、猖狂(スォンクォン)神に犠牲を供える必要がありますが、まだ犠牲になる人がいません。今、外に出てはいけません。生け捕りにされる恐れがあるので、避けるために密室に隠れなければなりません。」
 偉(ヴィー)は信じて従い、任夫(ニャムフー)は部屋の門に鎖をしました。芳容(フォンズン)にはその意図がわかっていたので、密かに刀を取って偉(ヴィー)に渡しました。偉(ヴィー)は壁を掘って外に出ました。夜中、偉(ヴィー)はこっそりと逃げ、應玄(ウンフエン)の家に隠れようとしました。急いで山を登ると、山には深い洞窟があって、偉(ヴィー)は誤って穴の底に落ちてしまいました。

●偉(ヴィー)が白い蛇に助けられる
 夜の8時頃に穴に落ちて、偉(ヴィー)はあまりの痛さに、起き上がるまでにかなり時間がかかりました。日が出て正午になると、太陽が洞窟を直接照らします。見ると四方はすべて崖で、上る階段はありません。上に大きな岩があり、石乳が岩の板にしたたっています。
 1匹の白い蛇がいて、長さは百丈、角は黄色で、口は赤、ひげは青、うろこは白く、首の下に腫れ物があり、額に金色の字で「王京子(ヴォンキントゥ)」と書いてあります。蛇は出てきて石乳を食べると再び洞窟の中に戻ります。
 偉(ヴィー)は洞窟に3日間いて、とてもお腹がすいたので、石乳を盗み食べました。すると、蛇が出てきて、岩の皿が空になっているのを見て、首を上げて偉(ヴィー)を見て、飲み込もうとしました。
 偉(ヴィー)はおびえてひざまずき、拝んで「私はここに落ちて避難していました。空腹を満たす方法がなくて、これを取って食べてしまい、本当に罪深いです。今、あなた様の首の下に肉の腫れ物が見えます。私は三年よもぎを持っていますから、どうか私の罪を許していただき、技を少々行わせてください。」
 蛇は首を上げて灸を求めました。突然まぶしい火が見え、ひとかけらの炭が洞窟に落ちてきました。偉(ヴィー)が火を取って灸に火を付けると、腫れ物はなくなり治ってしまいました。
 蛇は偉(ヴィー)に背中にまたがって乗れと言うように、前に来て身をかがめました。偉(ヴィー)は背中にまたがって、蛇はすぐ洞窟から出ました。夜10時頃で、崖の上に着きましたが、誰も歩いていませんでした。蛇は尻尾を振って偉(ヴィー)に降りるよう伝え、その後洞窟の中に戻って行きました。
●偉(ヴィー)が殷(アン)王の皇后と会う
 偉(ヴィー)は道に迷い、突然、大きな建物を見ました。門の上には高い楼があり、赤い瓦は豪華で美しく、灯りが煌々と輝いています。赤い額が門に掛かっていて、金字で「殷(アン)王の城」と書かれています。
 偉(ヴィー)が門のそばに座って中庭を見ると、池があって5色の蓮の花がありました。池の畔にはエンジュの木と柳が何列も並んでいます。れんが造りの道は平らで、翡翠の宮殿と真珠の宮殿、高い屋根に広い廊下。上には金竜の床(とこ)があり、銀の花の絨毯が敷かれています。琴と瑟(しつ 楽器)は2台ありますが、誰もいないようです。
 偉(ヴィー)が行って楽器を演奏すると、突然何百人もの美しい少年や美しい少女が殷(アン)王の皇后に付き従って門を開けて出てきます。偉(ヴィー)は驚いて殿を降りてひれ伏しました。
 后(ハウ)は笑って言いました。「崔(トイ)官人(かんにん)はどこから来たのか。」 そして、殿に上がるように招き言いました。「かつて、殷(アン)王の祠は廃墟となって荒廃し、参拝する者もいませんでした。しかし崔御史(トイグスー)による修復のおかげで、人々はその模範にならって、いつまでも崇拝しています。」「私たちはその徳に報いるために仙女麻姑(マーコー)を使わしましたが、御史(グスー)には会えず、息子に会ったと言います。まだ恩は返していませんが、今息子の顔を見ることができました。しかし上帝が命じたので、王は天にいてここにいないのです。」
 そして素晴らしい酒と食事を出すように命じ、酔って満腹になるようにさせました。宴が終わると、長いひげの大きな腹の人が前に来て「正月の13日に、北の人である任囂(ニャムヒェウ)が猖狂(スォンクォン)神に殴打されて殺されました。」と報告しました。
 報告が終わると后(ハウ)は言いました。「羊(ズォン)官人が崔(トイ)公子をこの世に戻しなさい。」そして后(ハウ)は門の中に戻って行きました。羊(ズォン)官人は偉(ヴィー)に目を閉じさせ肩に座らせ肩に載せると、ほんの少しの間で山の上に着きました。
 羊(ズォン)官人は石の山羊に変化し、山に立ちました。そして今もまだ鄒山(チャウソン)山の趙越王(チェウヴィェトヴォン)寺院の裏にあります。

●偉(ヴィー)が妻と宝珠を得る
 偉(ヴィー)は應玄(ウンフェン)の家に戻るとこの事を初めから最後まで話しました。8月1日になって、陽の光が傾いて当たるとき、偉(ヴィー)と玄(フェン)が外を歩くと、仙女麻姑(マーコー)に会いました。彼女は1人の娘を連れてきて偉(ヴィー)と夫婦にし、彼らに龍燧真珠(ロントゥイヴィェンゴック)を与えました。
 もともと、その宝珠は雌雄一対で、黄帝(ホアンデー)の時代から殷(アン)朝の時代に伝えられ、今でも世の宝として受け継がれています。
 鄒山(チャウソン)の戦いでは、殷(アン)王ははそれを身に着けて亡くなり、宝珠は地中に埋められましたが、その輝きは常に空を照らしました。秦(タン)の時代、兵士は火を放ち、宝物は燃やされました。しかし、人々はその霊気を見て龍燧宝珠(ロントゥイヴィェンゴック)がまだ南にあることを知り、遠くから来てそれを探しました。ここに到って殷(アン)王は偉(ヴィー)の恩に宝珠で報いました。当時の人が金銀彩緞の値段の百万貫でそれを購入したので、偉(ヴィー)は大金持ちになりました。
 その後、仙女麻姑(マーコー)が偉(ヴィー)と妻を迎えに来ました。それからどこに行ったのかわかりません。おそらく仙人仙女になったのでしょう。今、井戸は大きな穴になり、越井崗(ヴィェッティンククォン)と呼ばれています。

第2巻11話 李翁仲(リーオンチョン)の伝説

暴れん坊で困った李(リー)が、戦争で功を上げて将軍になるも、いやになって国に帰り、中国の皇帝の召喚も無視していたら、やっぱり死ぬことになる話
乱暴者が出世する話多いですね

 雄王(フンヴォン)の治世の終わり頃、交趾(ザオチー)の地の慈廉(トゥリエム)県瑞香(トゥイフォン)村に李(リー)という名の人がいて、生まれたから非常に大きく、背丈は2丈3尺でした。
 性質が凶暴で、よく人を殺し、死に値する罪をもっていました。雄王(フンヴォン)はその力を惜しんで罰することをしませんでした。
 安陽王(アンズォンヴォン)の治世になると、北の秦始皇(タントゥイホアン)は、軍隊を強くして戦うことを望んでいました。安陽王(アンズォンヴォン)は李身(リータン)を連れて来て、泰(タン)朝に捧げました。始皇(トゥイホアン)は非常に喜び、彼を司隸校尉(しれいこうい 奴隷などの監督官)に任命しました。
 始皇(トゥイホアン)が天下を取ると、李(リー)に、軍隊を連れて臨洮(ラムタオ)の土地を守るよう命令しました。彼の名は匈奴(フンノ)にとどろいていて、かれらはあえて国境に侵入することはしませんでした。
 始皇(トゥイホアン)は李(リー)に輔信侯(フティンハウ)の地位を与え、さらに王女と結婚させました。(すなわち皇妃白淨宮で、六世の代に生まれ、正月10日に亡くなりました。)年を取ると、彼は国に戻りました。
 匈奴(フンノ)は再び国境から侵入しました。始皇(トゥイホアン)は、李身(リータン)のことを思い出し、人を使わして来るようにしました。李身(リータン)は行くのがいやで、山中に隠れました。秦王(ブアタン)はこれを責めましたが、安陽王(アンズォンヴォン)は彼を探し出すことができず、李(リー)が死んだと嘘をつきました。
 秦王(ブアタン)が、なぜ死んだのか聞くと、コレラのためと答えました。秦王(ブアタン)は調べるために使者を送りました。安陽王(アンズォンヴォン)は、お粥を煮てそれを地面に注いで証拠を作りました。秦王(ブアタン)は遺体を持ってくることを要求し、李身(リータン)はしかたなく自死しました(その日は2月2日でした。)
 安陽王(アンズォンヴォン)は、水銀を死体に塗って秦王(ブアタン)に渡すように命じました。始皇(トゥイホアン)は驚いて、銅の像を鋳造し、翁仲(オンチョン)と名付け、運んで咸陽(ハムズゥオン)の地の金馬(キムマ)門の外に建てました。
 像の中には人が何十人か隠れていて、これを揺すって動かします。匈奴(フンノ)はそれを見て、像は生きている将校だと思い、あえて国境はおかしませんでした。
 唐の時代になって、趙昌(チェウスォン)は交州(ザオチャオ)に渡り、南を守る都護(とご)となりました。夜、夢の中で李身(リータン)が「春秋(スアントゥ)」と「左伝(ターチュエン)」の本について話しました。彼の古い家を訪ねる機会があったので、彼を祀る社を建てました。
 後に、高駢(カオビエン)が南詔(ナムチェウ)の敵を打ち負かした時には、李(リー)の霊が降臨して助けました。高駢(カオビエン)は社を修理し、木で彫像を彫り、李(リー)校尉(こうい)の祠と名付けました。今は慈廉(トゥリェム)県の瑞香(トゥイフン)村にあります。(かつては市現(トゥイハム?村)と呼び、今は瑞香(トゥイフン)村と呼びます。)城塞から15里のカイ川のほとりにあります。
 今日も祭礼は最も霊的な社で、毎年恒例の春祭りが行われる國威府の近くにあります。

このような詩があります
文武に優れた偉大な人、
咸陽(ハムズン)に像を残し、胡の群れを鎮め
永著(ビンクォン)で、夢に入り込み経を語り
南天の強大な帝国で祀られる

第1巻第10話 白い雉の伝説

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第1巻第10話 白い雉の伝説

・臣下越裳(ヴィェトゥオン)が、中国に行って周公(チューコン)に拝謁して、南だけに行ける車に乗って帰ってきた話
・白い雉は周公(チューコン)への貢ぎ物

 北の周(チュー)朝の成王(タインブォン)の治世の時、南の雄王(フンヴォン)は、越裳(ヴィェトゥオン)氏と称する臣下に命じて、白い雉を貢ぎ物に持って行かせました。
 言葉が通じないため、周公(チューコン)は何回も人に翻訳をさせて、初めて互いに理解できるのでした。周公(チューコン)は「なぜここに来たのか?」と尋ねました。越裳(ヴィェトゥオン)氏は答えました。「今の世に大雨や暴風はなく、海の外では3年間大きな波はありません。中国には素晴らしい聖人がいると考え、ここに参りました。」
 周公(チューコン)は哀れんで言いました。「政令が施行されなければ、君子は人に服従をさせられない。恩恵を広げなければ、君子は人の礼を受けることはできない。また黄帝(ホアンデー)が「ベトナム地域は侵略されることはない」と誓ったことは忘れない。」
 そして、越裳(ヴィェトゥオン)に地元の産物の褒美を与え、教え戒め帰しました。越裳(ヴィェトゥオン)使者が帰る道を忘れたので、周公(チューコン)は命じて5台の馬車を与えました。これらはすべて南に戻れるよう作った車でした。
 越裳(ヴィェトゥオン)氏は受け取って、扶南(フーナム)、林邑(ラムアップ)(チャンパ)の海岸をたどり、1年間かけて国に着きました。この乗り物はまっすぐ行くよう案内し、常に南だけに進むのです。
 その後、孔子は春秋(スアントゥ)経で、文郎(ヴァンラン)国を荒れ果てた場所としています。万物はまだ整備されず、荒れたままで捨てられていて、記載せずにおかれました。
 古い写本では、周公(チューコン)は「交趾(ザオチー)の人は髪を短く切り、入れ墨をし、頭をむき出しにし、裸足で歩き、歯を黒く染めるのは何故か?」と尋ねたとあります。
 越裳(ヴィェトゥオン)氏は答えました。「髪を短くするのは、ジャングルの中を歩きやすくするためです。入れ墨を入れるのは龍君(ロンクァン)の形に似せて、河を泳いで行くときに、蛟龍(ザオロン)に襲われないためです。裸足で歩くのは木に登りやすいからです。刀で耕し、焼いて植えます。頭をむき出しにするのは、炎熱を避けるため。キンマを噛めば汚れがきれいになり、そのため歯は黒くなります。」

第1巻第9話 西瓜の伝説

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第1巻第9話 西瓜の伝説

su-tich-dua-hau---truyen-co-tich-viet-nam.jpg・奴隷から高官になって、失脚して島流し、その後西瓜で大成功した、外国人枚暹(マイティエム)の話

◆有能な外国人の暹(ティエム)
 雄王(フンヴォン)の治世に、枚暹(マイティエム)という役人がいました。元は外国人で7、8歳の時、王が商船から買って奴隷にしていました。
 成長すると容貌は端正で、事物を覚えよく識り、王は枚偃(マイイェン)という名と安暹(アンティエム)という姓を授けました。また1人の妾を与え、暹(ティエム)には1男1女が生まれました。
 王は彼を信頼し、仕事をまかせ、彼はだんだん裕福になり、俸禄(ほうろく)も多くなりました。暹(ティエム)はおごり高ぶり傲慢になると、いつも「すべて私の前世のおかげであり、主人の恩のためではない。」と言いました。
◆暹(ティエム)追放される
 王は聞いて怒り言いました。「臣下としたのに、おごり高ぶり傲慢で、主人の恩を忘れ、前世のためなどと言う。宮廷から連れて行き、無人の地に置いて、それでも前世があるかどうか見てみるがよい。」
 それから枚偃(マイイェン)を峨山(ガソン)縣(別名は夾山(ザップソン))の海の河口の州で、四方すべてが砂と水に囲まれた、人の往来もない所に連れて行きました。4、5か月間は食べるのに十分な食べ物を与えられましたが、食べ尽くせば死んでしまいます。
 暹(ティエム)の妻は慟哭しましたが、暹(ティエム)は笑って言いました。「天が私を生んだのだから私を養うのは当たり前だ。生も死も天による。何も心配することはない。」
◆西瓜の種
 見ると1匹の白い雉が西から飛んで来て、山頂に止まり、3、4回鳴くと、6、7個の瓜の種が音と鳴き声と共に砂の上に落ちてきて、やがて青々と茂り、実を結びました。安暹(アンティエム)は喜んで言いました。「これは怪しい物ではありません。私たちを養うために天が与えた物です」。切って食べると、いい匂いでおいしく美味しく、気持ちも爽快になり、次の年に植えるよう種も取っておきました。どれだけ食べてもなくなることなく、また妻子を養う米に交換もできました。
 暹(ティエム)はその果物が何というか知りませんでした。雉が西の方から飛んできて種を持って来たので、それを西瓜(タイクア)と呼ぶ事にしました。魚釣りの人々も、商人たちも、みなおいしいと思いました。近くの村や遠くの村の人々は、みなこの種を手に入れるために買いに来ます。
◆暹(ティエム)王宮に帰る
 王は暹(ティエム)のことを思い出し、まだ生きているか死んでいるか、人を見にやりました。その者は王宮に戻り王に報告しました。王はため息をついて嘆いて言いました。「奴はそれが彼の前世のせいであると言ったが、それは実に嘘ではなかった」。それから彼を呼び戻し、以前の職に戻し、奴隷も与えました。
 暹(ティエム)がいた砂浜は安暹(アンティエム)浜と呼ばれ、その場所は枚(マイ)村と呼ばれています。安暹(アンティエム)の祖先が住んでいた場所は清華(タインホア)省峨山(ガソン)県の安暹(アンティエム)州だとして崇拝する人もいます。

第1巻 第8話 バインチュンの話

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第1巻第8話 バインチュンの話

ehon2_9.jpg・誰を次の王にするかを、作ってきたおいしい食べ物で決めるという、食い意地の張ったお話。
・主人公郎僚(ランリェウ)は第7代目雄王(フンヴォン)の雄昭王になります。

 雄王(フンヴォン)は、殷の敵を打ち破った後、国が安泰なので、子どもに王位を譲りたいと考え、22人の王子と王女を呼んで言いました。「私は意にかなった者に王位を譲りたい。この年末、特別においしい物を祖先に供え、先の王に孝行できる者が王位を受け継ぎなさい。」
 子どもたちは皆、おいしい食べ物やめずらしい物を求め、陸の上や水の中など数え切れないほどたくさんの場所に探しに行きました。
 ただ18番目の息子である郎僚(ランリェウ)だけは、母が王に冷たくされ孤独に亡くなっているので、近くに助けてくれる人はいませんでした。なんとかできそうになく昼も夜も心配し、夢を見ても不安でした。
 ある夜、夢の中に神人(しんじん)がやって来て言いました。「天と地にある物で、人間に貴重な物は米のほかにはない。米は人間を養い健康にし、食べて飽きることはない。他の物ではこれ以上のことはできない。」「さあ、もち米を使って餅を作りなさい。四角と丸い形で天と地を表し、葉を使って外側を包み、中にはおいしい味の物を入れて、父母が生んで育てた功徳を示すのだ。」
 郎僚(ランリェウ)は目を覚まし、喜んで言いました。「神人が私を助けてくれた。」
 言い終わると、夢の指示に従って、真っ白なもち米を選び、砕けていない丸い米粒を選び、洗ってきれいにして、緑の葉で四角く包み、中においしい味の物を入れ、天と地とすべての物のイメージを表し、よく煮て、それをバインチュンと名付けました。さらに、もち米を炊いて、よくつぶして、天を象徴する丸い形にして、それをバインザイと名付けました。
 時が来たとき、王は喜んで子どもたちに物を献上する場所に並べるよう命じました。すべて見まわってて、食べ物に無いものはないことを確認しました。ただ郎僚(ランリェウ)だけは、バインチュンとバインザイだけを献上しています。王が驚いて聞くと、郎僚(ランリェウ)は夢のことを話しました。王はそれを味わい、おいしく飽きずに食べられ、ほかの子供たちのいろいろな料理よりも優れていると、ずっと賞賛し、郎僚(ランリェウ)を1番としました。
 正月になると、王はいつもこのバインを持って父母に捧げます。国の人々は今に到るまでそれをまねています。郎僚(ランリェウ)は名を節料(ティェトリェウ)に改名しました。(節料(ティェトリェウ)は正月の食べ物の意味もあります。)
 王は王位を僚(リェウ)にゆずり、21人の兄弟たちは分割された領地で集団を作り、国を作りました。その後、それぞれの国の軍は互いに争い、防御のために木の柵を作りました。そこから、柵(サック)、村(トン)、荘(チャン)、坊(フォン)が始まりました。

第1巻その7 檳榔(びんろう)の伝説

 ehon3_11.jpgなんでこの展開になるのか? みなさん納得いかなかったようで、もっと脚色した話がたくさんあるキンマの起こりの話です。

 昔、ある王子がいました。体格は背が高いので、王は高(カオ)という名前を与え、それからは一族の姓を高(カオ)と名乗るようになりました。
 高(カオ)には2人の息子が生まれました。長男は檳(タン)、次男は榔(ラン)です。兄弟2人はそっくりで見分けがつきません。17、8歳の時、両親が亡くなり、2人は劉玄(ルーフエン)道士のもとで勉強しました。
 劉(ルー)家には、璉(リエン)という娘がいて、年はやはり17、8歳でした。兄弟2人は彼女を見た時とても気に入って結婚したいと思いました。彼女はどちらが兄であるかわからなかったので、2人が食事できるよう粥の椀と箸を並べておくと、弟が兄に先に食べるよう譲りました。彼女は戻って両親に兄の妻になりたいと言いました。
 夫婦が同居すると、兄はいつも弟によそよそしくなりました。弟は自分が情けなくて、兄は結婚して自分を忘れてしまったと思い、別れの挨拶もしないまま、そこを出て故郷に戻りました。
 森の中まで行き、深い谷川に来て、渡る船もなく、痛々しいほど泣くと、弟は死んで岸に生える木になってしまいました。
 兄は家に弟がいないので探しに行きました。その場所に来ると、木の根元で死んでしまい、木の根を抱いて横たわる石になりました。
 妻は夫を探しに行き、その場所に着くと、石を抱いて死に、木と石に巻き付く蔓草に変わり、その葉からはスパイシーないい香りがしました。
 劉(ルー)氏の父母は娘を探してここに来て、深く悲しみ、そこに社を建てました。人々は皆、兄弟の調和と夫婦の節義を賞賛して、香を焚いて祈りました。
 7月か8月の暑さがまだ収まっていない頃、雄王(フンヴォン)は巡行に行き、社の前で足を止めて涼みました。茂った葉や絡み合った蔓を見て、それらを口に入れて噛み、石に唾を吐きました。それは赤い色で甘い香りがしました。王は石を焼いて石灰を作り、蔓の木の実や葉と一緒に食べるよう命じました。いい香りでおいしく、唇は赤く頬は紅色になります。それが貴重なものだとわかって、持って帰るよう命じました。
 今日、木はあちこちに植えられています。ビンロウジュの木、キンマそして石灰がこれです。後に、南の国の人々は結婚式や、大きな行事や小さな行事の時、初めにキンマを差し上げます。ビンロウジュの木の起源はこのようなものなのです。