第1巻第9話 西瓜の伝説

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第1巻第9話 西瓜の伝説

su-tich-dua-hau---truyen-co-tich-viet-nam.jpg・奴隷から高官になって、失脚して島流し、その後西瓜で大成功した、外国人枚暹(マイティエム)の話

◆有能な外国人の暹(ティエム)
 雄王(フンヴォン)の治世に、枚暹(マイティエム)という役人がいました。元は外国人で7、8歳の時、王が商船から買って奴隷にしていました。
 成長すると容貌は端正で、事物を覚えよく識り、王は枚偃(マイイェン)という名と安暹(アンティエム)という姓を授けました。また1人の妾を与え、暹(ティエム)には1男1女が生まれました。
 王は彼を信頼し、仕事をまかせ、彼はだんだん裕福になり、俸禄(ほうろく)も多くなりました。暹(ティエム)はおごり高ぶり傲慢になると、いつも「すべて私の前世のおかげであり、主人の恩のためではない。」と言いました。
◆暹(ティエム)追放される
 王は聞いて怒り言いました。「臣下としたのに、おごり高ぶり傲慢で、主人の恩を忘れ、前世のためなどと言う。宮廷から連れて行き、無人の地に置いて、それでも前世があるかどうか見てみるがよい。」
 それから枚偃(マイイェン)を峨山(ガソン)縣(別名は夾山(ザップソン))の海の河口の州で、四方すべてが砂と水に囲まれた、人の往来もない所に連れて行きました。4、5か月間は食べるのに十分な食べ物を与えられましたが、食べ尽くせば死んでしまいます。
 暹(ティエム)の妻は慟哭しましたが、暹(ティエム)は笑って言いました。「天が私を生んだのだから私を養うのは当たり前だ。生も死も天による。何も心配することはない。」
◆西瓜の種
 見ると1匹の白い雉が西から飛んで来て、山頂に止まり、3、4回鳴くと、6、7個の瓜の種が音と鳴き声と共に砂の上に落ちてきて、やがて青々と茂り、実を結びました。安暹(アンティエム)は喜んで言いました。「これは怪しい物ではありません。私たちを養うために天が与えた物です」。切って食べると、いい匂いでおいしく美味しく、気持ちも爽快になり、次の年に植えるよう種も取っておきました。どれだけ食べてもなくなることなく、また妻子を養う米に交換もできました。
 暹(ティエム)はその果物が何というか知りませんでした。雉が西の方から飛んできて種を持って来たので、それを西瓜(タイクア)と呼ぶ事にしました。魚釣りの人々も、商人たちも、みなおいしいと思いました。近くの村や遠くの村の人々は、みなこの種を手に入れるために買いに来ます。
◆暹(ティエム)王宮に帰る
 王は暹(ティエム)のことを思い出し、まだ生きているか死んでいるか、人を見にやりました。その者は王宮に戻り王に報告しました。王はため息をついて嘆いて言いました。「奴はそれが彼の前世のせいであると言ったが、それは実に嘘ではなかった」。それから彼を呼び戻し、以前の職に戻し、奴隷も与えました。
 暹(ティエム)がいた砂浜は安暹(アンティエム)浜と呼ばれ、その場所は枚(マイ)村と呼ばれています。安暹(アンティエム)の祖先が住んでいた場所は清華(タインホア)省峨山(ガソン)県の安暹(アンティエム)州だとして崇拝する人もいます。

第1巻 第8話 バインチュンの話

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第1巻第8話 バインチュンの話

ehon2_9.jpg・誰を次の王にするかを、作ってきたおいしい食べ物で決めるという、食い意地の張ったお話。
・主人公郎僚(ランリェウ)は第7代目雄王(フンヴォン)の雄昭王になります。

 雄王(フンヴォン)は、殷の敵を打ち破った後、国が安泰なので、子どもに王位を譲りたいと考え、22人の王子と王女を呼んで言いました。「私は意にかなった者に王位を譲りたい。この年末、特別においしい物を祖先に供え、先の王に孝行できる者が王位を受け継ぎなさい。」
 子どもたちは皆、おいしい食べ物やめずらしい物を求め、陸の上や水の中など数え切れないほどたくさんの場所に探しに行きました。
 ただ18番目の息子である郎僚(ランリェウ)だけは、母が王に冷たくされ孤独に亡くなっているので、近くに助けてくれる人はいませんでした。なんとかできそうになく昼も夜も心配し、夢を見ても不安でした。
 ある夜、夢の中に神人(しんじん)がやって来て言いました。「天と地にある物で、人間に貴重な物は米のほかにはない。米は人間を養い健康にし、食べて飽きることはない。他の物ではこれ以上のことはできない。」「さあ、もち米を使って餅を作りなさい。四角と丸い形で天と地を表し、葉を使って外側を包み、中にはおいしい味の物を入れて、父母が生んで育てた功徳を示すのだ。」
 郎僚(ランリェウ)は目を覚まし、喜んで言いました。「神人が私を助けてくれた。」
 言い終わると、夢の指示に従って、真っ白なもち米を選び、砕けていない丸い米粒を選び、洗ってきれいにして、緑の葉で四角く包み、中においしい味の物を入れ、天と地とすべての物のイメージを表し、よく煮て、それをバインチュンと名付けました。さらに、もち米を炊いて、よくつぶして、天を象徴する丸い形にして、それをバインザイと名付けました。
 時が来たとき、王は喜んで子どもたちに物を献上する場所に並べるよう命じました。すべて見まわってて、食べ物に無いものはないことを確認しました。ただ郎僚(ランリェウ)だけは、バインチュンとバインザイだけを献上しています。王が驚いて聞くと、郎僚(ランリェウ)は夢のことを話しました。王はそれを味わい、おいしく飽きずに食べられ、ほかの子供たちのいろいろな料理よりも優れていると、ずっと賞賛し、郎僚(ランリェウ)を1番としました。
 正月になると、王はいつもこのバインを持って父母に捧げます。国の人々は今に到るまでそれをまねています。郎僚(ランリェウ)は名を節料(ティェトリェウ)に改名しました。(節料(ティェトリェウ)は正月の食べ物の意味もあります。)
 王は王位を僚(リェウ)にゆずり、21人の兄弟たちは分割された領地で集団を作り、国を作りました。その後、それぞれの国の軍は互いに争い、防御のために木の柵を作りました。そこから、柵(サック)、村(トン)、荘(チャン)、坊(フォン)が始まりました。

第1巻その7 檳榔(びんろう)の伝説

 ehon3_11.jpgなんでこの展開になるのか? みなさん納得いかなかったようで、もっと脚色した話がたくさんあるキンマの起こりの話です。

 昔、ある王子がいました。体格は背が高いので、王は高(カオ)という名前を与え、それからは一族の姓を高(カオ)と名乗るようになりました。
 高(カオ)には2人の息子が生まれました。長男は檳(タン)、次男は榔(ラン)です。兄弟2人はそっくりで見分けがつきません。17、8歳の時、両親が亡くなり、2人は劉玄(ルーフエン)道士のもとで勉強しました。
 劉(ルー)家には、璉(リエン)という娘がいて、年はやはり17、8歳でした。兄弟2人は彼女を見た時とても気に入って結婚したいと思いました。彼女はどちらが兄であるかわからなかったので、2人が食事できるよう粥の椀と箸を並べておくと、弟が兄に先に食べるよう譲りました。彼女は戻って両親に兄の妻になりたいと言いました。
 夫婦が同居すると、兄はいつも弟によそよそしくなりました。弟は自分が情けなくて、兄は結婚して自分を忘れてしまったと思い、別れの挨拶もしないまま、そこを出て故郷に戻りました。
 森の中まで行き、深い谷川に来て、渡る船もなく、痛々しいほど泣くと、弟は死んで岸に生える木になってしまいました。
 兄は家に弟がいないので探しに行きました。その場所に来ると、木の根元で死んでしまい、木の根を抱いて横たわる石になりました。
 妻は夫を探しに行き、その場所に着くと、石を抱いて死に、木と石に巻き付く蔓草に変わり、その葉からはスパイシーないい香りがしました。
 劉(ルー)氏の父母は娘を探してここに来て、深く悲しみ、そこに社を建てました。人々は皆、兄弟の調和と夫婦の節義を賞賛して、香を焚いて祈りました。
 7月か8月の暑さがまだ収まっていない頃、雄王(フンヴォン)は巡行に行き、社の前で足を止めて涼みました。茂った葉や絡み合った蔓を見て、それらを口に入れて噛み、石に唾を吐きました。それは赤い色で甘い香りがしました。王は石を焼いて石灰を作り、蔓の木の実や葉と一緒に食べるよう命じました。いい香りでおいしく、唇は赤く頬は紅色になります。それが貴重なものだとわかって、持って帰るよう命じました。
 今日、木はあちこちに植えられています。ビンロウジュの木、キンマそして石灰がこれです。後に、南の国の人々は結婚式や、大きな行事や小さな行事の時、初めにキンマを差し上げます。ビンロウジュの木の起源はこのようなものなのです。

木の妖魔の伝説

 古代の峰州(ダットフォン)の地に、旃檀(チエンダン)と呼ばれる大きな木がありました。高さは千ひろ(3330m)を超え、枝葉は生い茂り密集しているので、何千里あるのかもわかりません。鶴が飛んできて止まる(一説では巣を作る)ので、この地は白鶴(バックハック)と呼ばれていました。(Vĩnh Phúc省Việt Trìの近く)
 何千年を経て、木は枯れて妖魔となり、しばしば形を変え、強く勇気があり、人を殺し、動物に危害をなすことができました。
 涇陽王(キンズォンブォン)が鐘の術を使って木の精を打ち負かすと、少しおとなしくなるのですが、またあちこちに現れ、計り知れないほど変化し、よく人を取って喰います。
 人々は毎年の終わりの大晦日までに祭壇を建てなければなりません。慣習に従って、生きている人(犠牲)を捧げるために運ぶと、人々が平和でいられるのです。人々は妖魔を猖狂(スォンクォン)神と呼びます。
 この土地の南西の国境は獼猴(ミーハウ)国(チャンパ)に接していました。雄王(フンヴォン)あるいはその国王は、現在の演州(ジェンチャウ)府の婆露(バーロ)蛮人に命じ、毎年、峡谷に住んでいる獠子(ラオトゥ)(少数民族のこと)に犠牲をやめさせるようにしましたが、決まりを変えることはできませんでした。
 秦始皇(タントゥイホアン)になった時、任囂(ニャムヒェウ)が龍川(ロンスエン)の長官に任命されて、生きる人を犠牲にする旧弊を改革すると、猖狂(スォンクォン)神は腹を立てヒェウ(囂)を呪い殺したので、結局、その後さらに入念に祀らなければならなくなりました。
 丁先皇(ディンティエンホアン)王の治世に、北の出身の法師、文俞祥(ヴァンズートゥオン)がおりました。徳を積み高潔で、多くの国を旅し、蛮人の言葉に通じ、金の牙と青銅の歯を作る技術を習得していました。年齢は80歳以上でしたが、この南の国に渡って来ました。
 先皇(ティエンホアン)は法師と師弟の儀式を行いました。法師は猖狂(スォンクォン)神に見せて喜ばせる術を教え、かれを殺すように言いました。
 この見世物には、尚騎(トゥオンキー)、尚竿(トゥオンキー)、尚險(トゥオンヒエム)、尚鈎(トゥオンダット)、尚韃(トゥオントアイ)、尚碎(トゥオンカウ)があります。毎年11月になると飛雲樓(ロウフィバン)が作られます。高さ20尺(または50尺)、中に1本の木を立てて、麻の皮で編んだ長さ136尺、太さ2寸の大きな綱を張り、そして籐を編んで外側を結び、両端は地面に埋めて、真ん中を木の上に上げます。
 尚騎(トゥオンキー)は綱の上に立ち、3、4回疾走し、落ちることなく行き来します。頭には黒いはちまきを付け、体には黒いズボンを着ています。
 尚竿(トゥオンカン)の綱の長さは150尺で、3つに分かれる所があります。2人は両手で各自旗竿を持ち、綱の上を歩いてきて分岐点で出会うと、お互いかわして上がったり下がったりして、決して落ちません。
 尚韃(トゥオンダット)は、幅1尺3寸、厚さ7寸の大きな木の板を、高さ17尺3寸の木の上に置き、上に立っている韃(ダット)は2度3度と跳ね上がり、前に後にひっくり返ります。
 尚碎(トゥオントアイ)は竹を使って、長さ5尺、径が4尺のびくのような形のかごを作り、這い入って、立っては転がります。
 尚鈎(トゥオンカウ)は手をたたいて(または合わせて)、飛んで踊り、大声を出し叫び、手足を動かし、太ももに触れたり、お腹をさすったり、上下に動かしたり、また馬に乗って走り、身をかがめて地面に落ちることなく物を拾ったりします。
 尚險(トゥオンヒエム)は仰向けになり、体で長い棒を支え、そこに子どもを登らせ落とすことはありません。
 歌手たちが歌うときは、鐘をならし太鼓をたたき、みんな騒々しく歌い踊ります。また獣を殺して犠牲に捧げます。
 猖狂(スォンクォン)神がついにそれを見に来たので、法師は秘密の呪文を唱え、剣を取って切りました。猖狂(スォンクォン)神とその家来は全員死んで、もはや妖魔に戻ることはできませんでした。 毎年の犠牲の祭りはなくなって、人々は昔と同じように平和に暮らしました。

ehon4_1.jpg一夜沢の伝説(褚童子の伝説)

◆結婚したくない王女仙容
◆貧乏な童子(ドントゥ)
◆2人の結婚
◆河港の市場で大成功
◆童子(ドントゥ)仏教に帰依する
◆大きな国になり父が征伐に来る
◆国が消え去る
◆後日譚 クアンフック(光復)の戦い

◆結婚したくない王女仙容
 雄王(フンヴォン)三世(または十八世)に1人の娘が生まれました。名は美しい娘の仙容(ティエンズン)です。18歳になって容姿は優れて美しく、結婚はいやで遊ぶのが好き。あちこちを旅していていました。雄王(フンヴォン)三世はそれをとがめませんでした。毎年2、3か月は船をしたてて、海でセーリング、楽しくて家に帰ることも忘れていました。

◆貧乏な童子(ドントゥ)
 その頃、大きな川のほとりの褚舍(チュウサ)村(huyện Gia Lâm, thành phố Hà Nội)に、褚微雲(チュヴィヴァン、または褚微子)という人がいて、褚童子(チュドントゥ)という息子が生まれました。父は子を慈しみ、子は親に孝行し、でも家が火事にあって、財産はすべて無くなってしまったのです。ただ1枚腰巻きだけが残っていたので、父と息子は、出かけるときはかわるがわるそれを着けていました。
 父が重い病気になった時息子に言いました。「父が死んだら裸にして埋めて、お前は腰巻きを持っていなさい。」息子はそうするに忍びなく、腰巻きを使って父の亡骸を包みました。
 童子(ドントゥ)の体は丸裸で、空腹で寒くて惨めでした。川縁に立って商いの舟が通り過ぎるのを見るたびに、水の中に立って物乞いをしました。

◆2人の結婚
 あるとき、彼が稼ぎのために魚を捕っていると、思いがけず仙容(ティエンズン)の船が近づいて来ました。太鼓と鐘のドラムのエレガントな音楽が流れ、侍従もたくさんいます。
 童子(ドントゥ)は恐ろしくなりました。砂州の上には葦の草むらがあり、木がまばらに数本生えていました。童子(ドントゥ)は身を隠そうと、砂の穴を掘って横たわり、体に砂をかぶせました。
 そのすぐ後に、仙容(ティエンズン)は砂州で散歩を楽しむために船を係留し、水浴びするために草むらを幕で囲うよう命じました。仙容(ティエンズン)が天幕に入り、服を脱いで水を注ぐと、砂が流れて、童子(ドントゥ)が現れました。
 仙容(ティエンズン)はしばらく驚いていましたが、それが男子であることを知って言いました。「私は元々は結婚はしたくありませんでした。今この人に会って、同じ1つの穴に裸でいっしょにいて、これは天の運命なのでしょう。あなたはどうぞ立って水を浴びてください。あなたに着る服を与えましょう。そして、船に乗って祝賀会をしましょう。」
 船の人々は皆、今まであったこともないめでたいことだと考えました。童子(ドントゥ)は言いました。「いいえ、できません。」仙容(ティエンズン)は嘆いて、夫婦になるように命じましたが、童子(ドントゥ)は断りました。仙容(ティエンズン)は言いました。「これは天が縁を結んだことです。どうして拒むことができるでしょう」
 侍従は急いで戻って王に報告しました。雄王(フンヴォン)は言いました。仙容(ティエンズン)は名節(名誉と節操)を無視して、私たちの財産も気にかけていない。外をほっつき歩き、自分を卑しくして貧乏人を婿に取った。合わす顔などもうない。」

◆河港の市場で大成功
 仙容(ティエンズン)はこれを聞いて恐れ、無理に戻るのはやめて、童子(ドントゥ)といっしょにいることにして、河の港の市場を開き、街を建設し、人々と商売をしました。市場はだんだんと大きくなっていきました。(今は深(タム)市場または河梁(ハールオン)市場と呼ばれています)
 外国の富裕な商人が、貿易のために頻繁に往来きし、仙容(ティエンズン)と童子(ドントゥ)を領主として崇拝します。
 ある金持ちの商人が言いました。「身分の高い人は黄金1鎰(ダット 約800~1,000g)でも出します。今年海外で貴重なものを買ったら、来年には10鎰(ダット)にもなるでしょう。」仙容(ティエンズン)は喜び童子(ドントゥ)に話しました。「私たち夫婦は天が使わした者です。食べ物も衣服も天が与えます。さあ黄金を携えて金持ちの商人といっしょに貿易に船出し、生計を立てましょう。」童子(ドントゥ)はついに家の者たちと海外に出かけました。

◆童子(ドントゥ)仏教に帰依する
 瓊園(クインヴィェン)山という所には、山頂に小さな庵があり、家の者は船をつないで水を汲みました。商人たちはよくそこに立ち寄って飲み食い飲みしていました。童子(ドントゥ)は山の家の庵を訪ねました。そこには仏光(グォンクアン)という名の僧がいて、仏法を童子(ドントゥ)に伝えました。童子(ドントゥ)はそこに留まって学び、家の者には商売を行うためにお金を与えました。買い入れが終わると家の者は童子(ドントゥ)を迎えに庵に戻ってきました。僧は童子(ドントゥ)に1本の杖と1つの笠を与えて言いました。「霊聖はここにある。」
 童子(ドントゥ)は戻って仏教の道を説きました。仙容(ティエンズン)も仏教に帰依しました。2人は街、市場そして家業を捨て、教えを学ぶための師を探しに遠くまで出かけました。道の途中で暗くなりましたが、まだ村は見えません。2人は路上で泊まることにして、杖をつかんで笠をかぶって身を休めました。

◆大きな国になり父が征伐に来る
 真夜中になると、城郭、翡翠の楼、宝物殿、回廊、倉、神殿が現れました。金銀珠玉、寝床に布団に垂れ幕、仙童天女、兵士に護衛が目の前に並んでいます。翌朝それを見た人はみんなびっくりしました。香花、食べ物を持ってきて捧げ、自分たちが仕えさせてもらえるよう頼みました。文官武官あらゆる官職を置き、警備隊も作り、独立した国を作りました。
 雄王(フンヴォン)は知らせを聞いて、娘が反乱を起こしたと思い、征伐のために軍隊を送りました。仙容(ティエンズン)の群臣たちは彼女に国を守って戦うために軍隊を送るように頼みました。仙容(ティエンズン)は笑って言いました。「私はそうしたくありません。すべて天が決めること、生きるか死ぬかは天のまま。どうして父に刃向うことができるでしょう。ただ道理に従うだけです。剣で殺し合うのはやめておきましょう。」

◆国が消え去る
 そして新しく集まった人々は皆恐れて逃げ、古くからの人々だけが残りました。官軍はやって来て砂州の上に陣を構えました。しかし大きな川で隔てられている上、日が暮れて軍は進むことができません。夜半になると、強風が起こり、砂を吹き飛ばし木をなぎ倒しました。官軍は大混乱しました。仙容(ティエンズン)は人々や城郭と共に瞬時に天に舞い上がり、地面は陥没して巨大な低湿地になりました。
 その後、人々は祠廟(しびょう 祈るための祠)を建て、四季ごとに犠牲を捧げ、低湿地を一夜沢(ニャットザチャック)(一晩でできた低湿地を意味します。)と呼びました。砂州は幔幮(マンチュー)州、市場は深(タム)市場あるいは河梁(ハールオン)市場と呼ばれています。

◆後日譚 クアンフック(光復)の戦い
 その後、北の後梁(ハウルオン)王は、陳霸先(チャンバーティエン)に命じ、軍隊に南部を侵略させました。南の李南(リーナム)帝は趙光復(チェウクアンフック)に敵に抵抗するように命じました。
 光復(クアンフック)は軍隊を低湿地に潜ませました。低湿地は深く広がっていて、敵の軍隊は邪魔をされて、兵を進めるのは困難でした。光復(クアンフック)は丸木舟を使って、奇襲をして敵の食料を盗みました。長い間耐え続けて敵軍は疲労してきました。3、4年の間は戦闘になることはありませんでした。霸先(バーティエン)は嘆いて言いました。「昔々この地は一夜にして天に帰る沢だったが、今は一夜にして人から盗む沢だ。」
 北で侯景(ハウカイン)の乱が起きると、梁(ルォン)王は霸先(バーティエン)を呼び戻し、楊孱(ズォンサン)を中将軍に任命して兵士たちを指揮させました。光復(クアンフック)は斎戒して、低湿地の真ん中に祭壇を作りました。香を焚いて祈祷すると、突然龍に乗った神(あるいは褚童子(チュードントゥ))が祭壇(あるいは低湿地)に飛んで来て、光復(クアンフック)に言いました。「私は天にあるが精霊はここに現れた。お前たちが熱心に祈るので、助けに来て賊の乱を鎮めよう。」話し終わると彼は龍の爪を取って、それを光復(クアンフック)に与えて言いました。「これを兜にのせれば、矛で敵を倒せるだろう。」そして、空に飛んで行きました。
 光復(クアンフック)はそれを受け取り、喜んで叫び、戦闘を始め、梁(ルオン)軍を大敗させました。陣地の前で楊孱(ズォンサン)を矛で斬り、敵の梁(ルオン)軍は退却しなければなりませんでした。光復(クアンフック)は南帝(ナムデー)が亡くなったと聞いて、独立するために趙越王(チエウヴィェットブォン)となり、鄒山(ブーニン)県の鄒山(チャンソン)に城を建設しました。(一説では南海海門外の石河県園山すなわち金木山です。)

ehon3_9.jpg董天(ドンティエン)王の伝説

◆殷王の侵略に備え、龍王(ロンブォン)を招く
◆国中で勇者を探す
◆鉄の馬と兜を作る
◆天の将軍が殷王を倒す
◆天の将軍、扶董天王(フードンティエンヴォン)を祀る

子どもが有名な将軍になったきっかけは、母親の文句だったという、衝撃の展開です。

◆殷王の侵略に備え、龍王(ロンブォン)を招く
 雄王(フンヴォン)は、国が豊かで強力であることに安心して、北に拝謁するのを怠っていました。殷朝の王は、巡行を口実に侵略をしました。
 雄王(フンヴォン)はその知らせを聞いて、彼の廷臣を呼んで攻守の策について尋ねました。ある道士が「龍王(ロンブォン)に軍を連れてくるよう助けを求めては」と王に進言しました。
 王は聞き入れて、祭壇を築き、その上に金、銀、絹を供え、斎戒し、香を焚き、3日間祈祷しました。すると大雨が降り風が吹き、突然、身の丈は9トゥック(約4m)を超え、顔は金色、腹は大きく、白い髭の老人が現れ、三つ角に座り、談笑し歌を歌い舞い踊っていました。人々は特別な人であると思って、王に報告しました。
 王は自ら挨拶に出て、彼を祭壇に迎えました。その老人は食べませんし話もしません。王は尋ねました。「北の兵が侵攻したと聞きました。私たちは負けるか勝つか、あなた様は見聞がおありです。どうかお教えください。」老人はしばらく黙って座ってから、占いの札を引き、王に言いました。「3年後に北の侵略者がやってくる。厳重に武装し、兵士と上官を鍛錬し国を守らなければならない。そして世の中から特別な天才を探さなければならない。敵を破ることができる者には称号と領地を授け継承を許しなさい。もしふさわしい者がいれば、敵を倒すことができる。」老人は話し終わると空に飛んで行きました。それで彼が龍君(ロンクン)であることがやっとわかったのです。

◆国中で勇者を探す
 3年がたち、国境の人々から殷の敵が到着したと知らせがありました。王は老人の言葉に従い、才能ある人を登用するため、使者をあちこちに送りました。
 使者は北寧(バクニン)の仙遊(ティエンズー)県董鄉(フードン)村に着きました。そこには60歳を過ぎてから1月7日生まれの息子を授かったお金持ちの人がいました。子どもは3歳になっていましたが言葉を話さず、仰向けに寝るだけで、座ることもできませんでした。
 子どもの母親は使者が来たと聞いて冗談を言いました。「生まれたこの子は、食べることしか知らないし、敵と戦う方法もわからない。王様の報酬をもらってお乳の恩を返せない。」子どもは母親が話すのを聞いて突然「ここに使者を呼んでください。」と言いました。母親はとても驚いて近所の人に話しました。近所の人たちは大喜びして、すぐに使者を呼んで来ました。使者は聞きました。「お前は幼く話ができるようになったばかりだ。なぜ私たちを呼んだのか?」

◆鉄の馬と兜を作る

 子どもは起き上がって使者に言いました。「急いで戻って王に告げてください。高さ18トゥック(約8m)の鉄の馬、長さ7トゥック(約3m)鉄の剣、鉄の鞭、鉄の兜を作ってください。私は馬に乗って兜をかぶって戦います。敵は絶対に倒れます。王に何の心配があるでしょう。」
 使者は非常に喜び、急いで戻り王に報告しました。王は驚きながら喜んで言いました。「もう怖れることはない。」近臣達は言いました。「どうして1人で敵を倒すことができるのか。」王は怒って言いました。「かつての龍君(ロンクン)の言葉に間違いはない。お前たち、疑うのはやめろ。急いで、鉄50カン(斤)の鉄を探して精錬し、馬、剣、鞭、兜を作るのだ。」
 使者が着いて、母親は災難が起こるのを怖れていました。息子は笑って言いました。「お母さん、僕が食べられるように、ご飯と酒をたくさんください。敵と戦う事はお母さんは心配しないで。」子どもはすごい早さで成長し、たくさん食べて飲んで食べ物はなくなり、母親の上げるものでは足りません。 近所の人たちは、たくさんの水牛、酒、餅、果物を用意しましたが、子どもはまだ満腹になりませんでした。絹布錦織はたくさんありましたが、それでも体を覆うことができず、葦の穂を取ってきて体を覆うために足して結ばなければなりませんでした。

◆天の将軍が殷王を倒す
 殷朝の軍隊が武寧(ヴーニン)の鄒山(チャウソン)山のふもとに着いた時、子どもは足を伸ばして立ちました。10トォック(4.25m)を超える高さでした。(チュォン(約3.3m)と呼ぶ所もあります。)彼は鼻を空に向け10回以上くしゃみをすると、剣を抜いて叫びました。「我は天の将軍なり!」そして兜をかぶり馬にまたがりました。
 馬は跳ね上がり、長くいななき、飛ぶように疾走しました。一瞬で殷王の軍の前に来て、剣を振って前に行くと、味方の軍隊は後に続き、敵の砦の目前に進みました。 敵軍は逃げ出し、残った者は誰もが天の将軍にひれ伏し叫び降伏しました。
 殷王はこの戦いで死にました。キムホア(金華)県のソクソン(朔山)の地で、天の将軍は上着を脱いで馬にまたがり天国に上っていきました。4月9日のことでした。そして山の岩にその跡を残しました。

◆天の将軍、扶董天王(フードンティエンヴォン)を祀る

 フンヴン(雄王)は、その功を思い、扶董天王(フードンティエンヴォン)として尊敬し、故郷の村の家に廟を建てて、朝夕線香を絶やさないように、1,000マウ(360ヘクタール)の耕地を授けました。殷朝はその後代々644年間あえて出兵することはありませんでした。

 その後、李太祖(リータイトー)が沖天神王(スンティエンタンヴォン)を授け、扶董(フードン)村の建初(キエンソ)寺の隣に廟を建て、ヴェリン(術靈)山に像を彫り、春と秋に大祭を行いました。


 黎朝の淳(トァンデー帝)の治世中、フーロー(扶魯)村に吳芝蘭(ゴチ-ラン)という婦人がいて、よく本を読み、文学に通じ、詩歌が巧みでした。彼女はこの山を散歩している時、詩を作りました。

春の術靈(ヴェリン)に樹は芽吹き雲はたなびく
万の紫、千の紅、艶やかな世界
鉄の馬は天にあり、名は歴史に残る
英雄の威信は山河に満ちる

魚の精(グーティン)の伝説

 東海には、魚蛇の精(魚精(グーティン)とも言う)がいて長さは五十丈を越え、ムカデの足のように多くの足があり、あらゆる形に変化し、計り知れない大きな霊異を起し、動く時は嵐のような音が鳴り響きます。人間の肉を食べるので、誰もが恐れていました。
 昔に人間のように見える魚がいたのが、東海の岸に着いて人間に変わり、話し方を覚え、徐々に成長し、たくさんの息子や娘を産み、魚やエビ、フネガイやシジミをよく捕まえて食べていました。
 また蛋人(ダンニャン)または蜒人という族もいて、海岸の小島に住んで、魚を捕まえることを専門とし、それから人間になり、蛮人(山の人?)との籾、刀、斧(※塩米、衣裳、刀斧)の交易のために東海をしょっちゅう行き来していました。
 海岸には、石の歯がギザギザな魚精(グーティン)岩が横たわってありました。岩の下には洞窟があり、魚精(グーティン)はそこに住んでいます。波風は荒く、通る道はなく、人々は別の道を開こうとしましたが、固い岩を彫るのは困難でした。この場所を通過する民の船は、いつも魚精(グーティン)によって被害を受けます。
 ある夜、仙人たち(または超人たち)が、旅人が通り抜ける所を作るために岩を彫っていました。魚精(グーティン)は(それを邪魔するために)白いオンドリに変身し山の上で鳴きました。仙人たちはその声を聞き夜明けが来たと間違えて、空に飛んで行きました。今では、人々はその道を仏陀洞(ファットダオハン)と呼んでいます。
 龍君(ロンクン)は被害を受ける人を憐れんで、一艘の船に変身し、水府(トゥイフ)の鬼(ダートア)に海神が波を起こすのを禁じるよう命じた上で、魚精(グーティン)岩の洞窟の岸に漕いで行き、1人の人をつかんで、魚精(グーティン)に食べさせるために投げようとするふりをしました。魚精(グーティン)が飲み込むために口を開けると、龍君(ロンクン)は赤く焼けた鉄の塊を持って魚の口に投げ込みました。魚精(グーティン)は飛び上がって、船の上に落ちバタバタしました。
 龍君(ロンクン)は魚の尻尾を切り落とし、皮をはいで山を覆いました。その場所は白龍尾(バックロンビ)と呼ばれています。魚の頭は海の外に流れ出して犬になりました。龍君(ロンクン)は石を取って海を塞ぎ、それを切りました。犬の頭に変わったそれは、現在は狗頭山(カウダウソン)と呼ばれています。体は曼求(マンカウ)へ流れて、その場所は曼求水(マンカウトゥイ)または狗頭水(カウダウトゥイ)と呼ばれています。

狐の精の伝説

 かつて昇龍(タンロン)城は龍編(ロンビエン)と呼ばれ、上古の昔にはここに人は住んでいませんでした。李(リー)朝の王太祖(ブアタイトー)が珥河(ニーハー)川のほとりで舟を漕いでいると、2匹の龍が舟を導きました。そこでこの地を昇龍(タンロン)とし、首都にしました。現在のキンホア城です。
 昔は西に小さな岩山があり、東に龍江(ローザン)川(蘇瀝江?)がありました。山の麓の洞穴には千年以上生きている九つの尾の白狐が住んでいて、妖怪、人間、鬼に化ける能力を持ち、あちこちに出没していました。
 その頃、傘圓(タンビエン)山の麓では、蠻(マン)人が木で柱を立て草を編んで家を作っていました。山の上には神聖な神がいて、蠻(マン)人はいつも礼拝していました。その神が、蠻(マン)人に稲を植えることや布を織って白い服を作って着ることを教えたので、白衣蛮(バックイーマン)(白い服の人)と呼ばれていました。
 九尾の狐は白衣族の人に化けて、蠻(マン)の人々が歌う中に加わって、男の子と女の子を山の洞窟に来るよう誘惑します。蠻(マン)人はとても困りました。
 龍君(ロンクン)は水府の省庁に命令を出し、派遣して、水面の高さを上昇させ岩の洞穴を破壊するようにしました。
 九尾の狐は逃げだし、水府の軍隊はそれを追い、洞穴を壊し、狐を捕らえて飲み込みました。この場所は深い淵に変わり、「狐の屍の淵」(つまり今の西(タイ)湖)と呼ばれました。後に妖怪を鎮めるため、霊廟、今の金牛寺(キムグートゥ)を建てました。
 湖の西側の畑はとても平坦で、地元の人々は作物を植え生計を立てています。現在は狐洞(ホードン)(キツネの洞穴)と呼ばれています。ここの土地は高く乾いているので人々は家を建てました。現在は狐村(ホートン)と呼ばれています。 古いキツネの巣窟は今は魯卻(ロークォック)村と呼ばれています。

sach (2).jpg鴻龐(ホンバン)氏の伝説

内容

◆貉龍君(ラックロンクァン)が生まれ王になる
◆貉龍君(ラックロンクァン)民に農業を教える
◆帝来(デーライ)と嫗姬(オーコー)が南に来る
◆貉龍君(ラックロンクァン)民を助けに来て、嫗姫(オーコー)と出会う
◆帝来(デーライ)北(中国)に帰る
◆神農(タンノン)氏の滅亡
◆百人の息子が生まれる
◆嫗姫(オーコー)が龍君(ロンクァン)を責める
◆龍君(ロンクァン)の言い訳と離婚
◆文郎(ヴァンラン)国と雄王(フンブン)の始まり
◆蛟龍(ザオロン)の被害を避けて入れ墨をする
◆百越(バックビェット)の人の衣食住
◆百越(バックビェット)の人の子育てと結婚

鴻龐(ホンバン)氏の伝説

◆貉龍君(ラックロンクン)が生まれ王になる
 炎帝神農(ビエムデータンノン)家三代目の帝明(デーミン)には、帝宜(デーギ)という子がありました、帝宜(デーギ)は南部巡狩(じゅんしゅ 視察)の機会に五嶺(グーリン)山に行き、仙女の婺仙(ブティエン)の娘と結婚しました。国に戻ると祿續(ロックトック)が生まれました。孫の續(トック)の美しい姿と聡明さに帝明(デーミン)は非常に驚きました。そして、彼に王位を継がせようとしました。しかし祿續(ロックトック)は断って、兄に譲位するよう頼みました。
 そこで帝明(デーミン)は後継ぎに兄の嗣(ギ)帝を立てました。一方、祿續(ロックトック)は、南部を統治するように涇陽王(キンズオンブオン)の地位を与えられ、その国の名を赤鬼(シッククア)としました。涇陽王(キンズオンブオン)は水府(トゥイフ)に行く事ができました。そこで洞庭(ドンディン)湖の龍王(ロンブォン)の娘と結婚し、崇纜(スンラム)つまり貉龍君(ラックロンクン)という名の子を成し、彼に国を統治させました。その後涇陽王(キンズオンブオン)はどこへ行ったのか、死んだのかはわかりません。

◆貉龍君(ラックロンクン)民に農業を教える
 貉龍君(ラックロンクン)は民に農業と桑の栽培を教え、君主臣下の序列、父と子、夫と妻の道徳を確立しました。時々水府(トゥイフ)に帰りましたが、百姓たちは平穏無事で過ごしました。どうしてそのようにできたのでしょうか。  もし民に何かある時は大声で「父よ、私を救ってくれませんか」と呼ぶと、龍君(ロンクン)はすぐにやって来ました。龍君(ロンクン)には人間には計り知れない霊感がありました。

◆帝来(デーライ)と嫗姫(オーコー)が南に来る  
 帝嗣(デーギ)は王位を息子帝来(デーライ)に譲り北の地を統治させました。天下は安泰だったので、帝来(デーライ)は自分の代わりに臣下の蚩尤(スイブー)に国政の世話を命じ、南方の赤鬼(シッククア)国を巡行しました。その時、龍君(ロンクン)は水府(トゥイフ)に帰っていて、赤鬼(シッククア)国に主はいませんでした。帝来(デーライ)は娘(または妾)の嫗姫(オーコー)と侍従をそこに住まわせ、自分は名所や景勝を見る天下周遊に出かけました。エキゾチックな草花、めずらしい獣、犀に象に鼈甲、金銀に胡椒肉桂、石乳に沉香檀香、山海の幸、ない物はなく、四季折々の気候は寒くも暑くもありません。帝来(デーライ)はそれらを愛し、帰るのを忘れるほど喜びました。

◆貉龍君(ラックロンクン)民を助けに来て、嫗姫(オーコー)と出会う
 一方で南方の民は北の人々に乱暴を受けて苦しみ、以前のように平和に暮らすことができなくなって、龍君(ロンクン)を呼びました。「父よどこにいますか、北の人間に侵略させて民を悩ませたままなのですか。」
 龍君(ロンクン)はすぐに戻って来ました。ところがエキゾチックで美しい姿の嫗姫(オーコー)を見て喜び、彼は姿が美しい秀麗な青年に変身し、前後左右にたくさんの従者を従えて、歌ったり、太鼓を叩いたりして歩きました。宮殿に着くと、嫗姫は喜んで、龍君(ロンクン)について行くことにしました。龍君(ロンクン)は龍岱(ロンダイ)岩に嫗姫をかくまいました。

◆帝来(デーライ)北(中国)に帰る
 帝來(デーライ)が戻って来ると、嫗姫(オーコー)が見えません。彼は廷臣にあちこちを捜索するよう命じました。龍君(ロンクン)には、妖精や鬼、竜、蛇、虎、象など何百もの形に変化(へんげ)する術がありますから、捜索者は皆恐がって捜索に挑まず、帝來(デーライ)は国へ戻らなければなりませんでした。

◆神農(タンノン)氏の滅亡
 北の地では榆罔(ドゥボン)帝の治世に移ると、蚩尤(スイブ-)が反乱を起こしました。有熊(ヒューフン)国の王である軒轅(ヒエンビエン)は、家臣たちを連れて戦いましたが、勝てませんでした。蚩尤(スイブ-)は動物ですが人間の言葉を話し、とても勇敢で強力です。しかしある人が軒轅(ヒエンビエン)が動物の皮の太鼓を使って指令をすると蚩尤(スイブ-)に教えると、彼は恐くなって涿鹿(チャンロック)に撤退しました。帝榆罔(デードゥボン)は家臣の国に行って、板泉(ファントゥエン)で軒轅(ヒエンビエン)と3回の戦闘を行って敗北し、洛邑(ラックアップ)の地に下って、そこで亡くなりました。神農(タンノン)氏はついに滅亡しました。

◆百人の息子が生まれる
 龍君(ロンクン)が嫗姫(オーコー)と結婚して1年たち、1つの胞衣(えな)が生まれましたが、不吉な兆しと見なされて畑に投げられました。6、7日過ぎると、胞衣から百個の卵が出てきて、それぞれの卵から男の子が1人ずつ生まれたので、やっと連れ帰って家で育てました。乳を飲まないのに、子供たちは成長し、驚くほど美しく、賢く勇ましいので、人々は皆感服し、常ならぬ兆しと考えました。

◆嫗姫(オーコー)が龍君(ロンクン)を責める
 龍君(ロンクン)は水国(トゥイコク)に長い間暮らしていて、別居している彼の妻と子供たちは、いつも北に戻りたがっていました。それで嫗姫(オーコー)たちが国境に行くと、黄帝(ホアンデー)が聞いて非常に恐れ、兵を出して警備をさせました。  嫗姫(オーコー)たち母子は国に帰ることができなくて南に戻り「あなたはどこにいるの?母と子だけで孤独で、昼も夜もこんなに悲しくて」と龍君(ロンクン)を呼びました。彼はすぐに戻って、曠野(トゥオン)の地で会って互いに話し合いました。嫗姫(オーコー)は言いました。「私はもともと北の人間で、王といっしょに暮らし、百人の息子を産みました。王は私を捨てて行ってしまい、子供を私といっしょに育てないで、夫無く妻無く独り身にさせ、ただ自分だけを愛しています。」

◆龍君(ロンクン)の言い訳と離婚
 龍君(ロンクン)は言いました。「私は龍の血統で水族の長です。あなたは仙人の血統で地上の人です。陰陽が合って子を成しましたが、水と火は相容れないし、人種が同じではありませんから、長くいっしょにいるのは難しい、今は別れなければなりません。私は50人の子どもを水府(トゥイフ)に連れて行き、土地を分けて支配します。残りの50人はあなたに従い、地上に戻り、国を分割して支配しなさい。山に登り、水に下り、何かあるときは知らせ合い、互いに忘れないでいましょう。」
 100人の子供たちは聞いて従い、そしてお別れをして去って行きました。
◆文郎(ヴァンラン)国と雄王(フンヴォン)の始まり
 嫗姫(オーコー)と50人の子供たちは、峰州(フォンチャウ)の地に登り、互いに敬い従うとともに、長子を尊重して国の王、その名を雄王(フンヴォン)としました。国の名は文郎(ヴァンラン)とし、東は南海(ナムハイ)に接し、西は巴蜀(バートゥク)に到り、北は洞庭(ドンディン)湖、南は狐猻(ホートン)精国(占城(チエムタイン)のこと)に到ります。国を15部(郡)に分割し、越裳(ビエットトオン)、交趾(ザオチ)、朱鳶(チュ-ジエン)、武寧(ブーニン)、福祿(フックロック)、寧海(ニンハイ 南寧)、陽泉(ズントエン)(海)、陸海(ルックハイ)、懷驩(ホアイホアン)、九真(クーチャン)、日南(ニャットナム)、真定(チャンディン)、文郎(ヴァンラン)、桂林(クエラン)、象郡(トォンクアン)などを、弟たちが分けて支配し、それぞれ相文(トォンバン)と将武(トォンブ)を置きました。相文(トォンバン)とは貉侯(ラックハウ)の文官、将武(トォンブ)とは貉將(ラックトォン)の武官を言います。
 王の息子は官郎(クアンラン)、王の娘は媢娘(ミーヌオン)と呼び、いろいろな役人の百司(チャムクアン)は蒲正(ボーチン)、臣僕奴隸(タンボックヌーレ)は稍稱(サオスン)または奴婢(ヌーティ)と呼ばれました。王の臣下は瑰(ホン)と呼ばれ、代々父から息子へと受け継がれるのは逋導(フーダオ)と呼ばれます。代々の王は雄王(フンヴォン)と呼ばれ、変わることはありません。

◆蛟龍(ザオロン)の被害を避けて入れ墨をする
 当時、森の周りに住んで魚を取るために水辺に行く人々は、いつも蛟龍(ザオロン)族の害を受けたので、雄王(フンヴォン)に頼みました。雄王(フンヴォン)は言いました。「山の人のグループと水族のグループはお互いに恨みを持っており、いつも憎み合い、お互いに害を成します。」そこで、人々に龍君(ロンクン)の形や水の怪物の入れ墨を入れさせました。それ以来、人々は蛟龍(ザオロン)の被害を受けていません。百越(バックビェット)の入れ墨の習慣はここから始まりました。

◆百越(バックビェット)の人の衣食住
 国の初期には、人々は生活に必要な品物を十分に持っていないので、木の皮を使って衣服(または紙)を作り、萱(かや)を編んでゴザを作り、米の絞り汁を使って酒を作り、さとうやしの木や棕櫚(しゅろ)の木を使って使って主食を作りました。(それを飲むとも書かれています。)鳥や獣、魚や淡水の亀で塩漬けを作り、生姜の根をムオイ(塩)(調味料か?)にし、刀で耕し、火で植え(?)ました。土地ではたくさんのもち米ができ、竹の筒を使ってもち米を蒸し、トラやオオカミを避けるために高い木の家を作りました。髪はジャングルの中を歩きやすくするために短く切りました。

◆百越(バックビェット)の人の子育てと結婚
 子どもが生まれたら、バナナの葉でくるみ、死ぬ人があれば、臼を叩いて知らせ、隣人は音を聞いて助けに来ます。まだキンマがなかったので、男女の結婚は、塩釜を先にもって、その後水牛と山羊を供物として殺し、蒸した餅米を食べて、部屋に入って後、初めて2人は一体になります。100人の息子はまさに百越(バックビェット)の祖先なのです。