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第2巻第12話 越井傳 越井(ゼンヴィェト)の伝説

・役人崔亮(トイルォン)の息子偉(ヴィー)が、
仙女に仙薬をもらったり、
恋愛して殺されそうになったり、
洞窟に落ちて白蛇に助けられたり、
最後に宝石をもらって金持ちになったりする ファンタジー
・白蛇、仙女、美しい妻、親友、冒険、恩返しが東アジアのファンタジーの基本らしいです。

●崔亮(トイルォン)が殷(アン)王の祠を直す
 越井(ゼンヴィェト)は武寧(ヴーニン)県鄒山(チャウソン)にあります。雄王(フンヴォン)第3代の時代、殷(アン)朝の王が兵を挙げ、南に侵攻し、鄒山(チャウソン)のふもとに駐留しました。雄王(フンヴォン)は龍君(ロンクァン)に助けを求め、龍君(ロンクァン)は天下から天才を探し出せば、敵を追い払えると教えました。ちょうど朔天王(ソックティエンヴォン)が生まれ、鉄の馬にまたがり敵を討ちました。殷(アン)の将兵はみんな逃げました。殷(アン)王は山のふもとで死に、冥界の王になりました。民は祠を建てて祀りましたが、何年も経ち祠は荒廃していました。
 周(チュー)朝が終わり、秦(タン)朝になった時、崔亮(トイルォン)がというこの国の人がいました。秦(タン)朝の役人の御史大夫(グスダイフ 官僚を監査する人)として、しばしばこの地域を通り、荒れ果てた祠を見て同情を感じ、廟を修復しました。そしてこのような詩を作りました。

いにしえの人は、殷(アン)王の道を伝える、
あの年、巡行はここに来たり。
山は秀で水は流れ空の祠が見え、
霊が登った跡にはなおよい香りが残る。
勝敗は1日にして殷(アン)朝の徳を消し、
越裳(ヴィェトゥォン)に偉大な霊を鎮める。
人々はみな心を込めてこれをまつるので、
永遠に国に幸いがあるよう助けたまえ。

 任囂(ニャムヒェウ)将軍の後、安陽王(アンズォンヴォン)の時代、越陀(チェウダー)が将兵を南に侵攻させ、軍を山のふもとに駐留させて、廟のの外観を修理し、手厚く祭祀を行いました。

●仙女麻姑(マーコー)が恩返しに使わされる
 冥土の殷(アン)王は、亮(ルォン)の徳に感じ入り、恩を返したいと考え、仙女の麻姑(マーコー)を地上に使わし、彼を探させました。亮(ルォン)は秦(タン)の国で亡くなって、崔偉(トォイヴィー)という息子はまだ留学中でした。
 正月の15日に、人々がこの祠を訪ねると、そこに人が献上した一対の玻璃(はり)の瓶があって、仙女の麻姑(マーコー)がそれを手に取って見ていましたのですが、突然瓶が地面に落ちて割れて破片になりました。人々は彼女を追いかけて捕まえました。麻姑(マーコー)は破れた服を着ていて、人々には仙女であることがわからないので、彼女を打って辱めました。崔偉(トォイヴィー)はそれを見てかわいそうに思い、自分の服を脱いで与え、彼女を解放しました。
 麻姑(マーコー)が偉(ヴィー)にどこに住んでいるのか聞くと、偉(ヴィー)は父親の来歴を話しました。麻姑(マーコー)は、彼が崔御史(トォイグス)の息子であることを知り、非常に喜んで言いました。「今は恩に報いることができませんが、後できっとお返しします。」
 そして偉(ヴィー)によもぎの葉の束を与えて言いました。「これを大事に持っていて、肌身から離さないください。いずれ頭に腫れ物がある人に会ったら、灸でそれを治しなさい。きっととても豊かになれましょう。」偉(ヴィー)はそれを受け取りましたが、まだ仙薬(せんやく)とは知りませんでした。親友の道士の應玄(ウンフエン)の家に行くと、玄(フエン)は頭に腫れ物ができていました。偉(ヴィー)は言いました。「私はよもぎを持っていてそれを治すことができます。」
 玄(フエン)は治して欲しいと頼み、灸をすると腫れ物は消えました。玄(フエン)は言いました。「これは仙薬です。今は恩に報いることができませんが、別の方法で恩返しさせてください。私はこの病気に苦しんでいる地位の高い親戚を知っています。彼は、病気を治すことができる人には財産を分けても惜しくないといつも言っています。どうかそれを治しに行ってください。それで恩に報います。」

●偉(ヴィー)が仙薬で任囂(ニャムヒェウ)を直す
 玄(フエン)は偉(ヴィー)を任囂(ニャムヒェウ)の家に連れて行き、治療をすると、腫れ物はすぐになくなりました。囂(ヒェウ)はとても喜んで、偉(ヴィー)を養子にして、学校を作り勉強させ、仕事が見つかるまで待つようにしました。
 偉(ヴィー)は聡明で、よく本を読み、琴を奏でました。囂(ヒェウ)の娘の芳容(フォンズン)は、偉(ヴィー)を見て恋に落ち関係を持ちました。
 囂(ヒェウ)の息子である任夫(ニャムフー)はこれを知って、偉(ヴィー)を殺したいと思い、彼を猖狂(スォンクォン)神の犠牲に捧げようとして、だまして言いました。「年末に、猖狂(スォンクォン)神に犠牲を供える必要がありますが、まだ犠牲になる人がいません。今、外に出てはいけません。生け捕りにされる恐れがあるので、避けるために密室に隠れなければなりません。」
 偉(ヴィー)は信じて従い、任夫(ニャムフー)は部屋の門に鎖をしました。芳容(フォンズン)にはその意図がわかっていたので、密かに刀を取って偉(ヴィー)に渡しました。偉(ヴィー)は壁を掘って外に出ました。夜中、偉(ヴィー)はこっそりと逃げ、應玄(ウンフエン)の家に隠れようとしました。急いで山を登ると、山には深い洞窟があって、偉(ヴィー)は誤って穴の底に落ちてしまいました。

●偉(ヴィー)が白い蛇に助けられる
 夜の8時頃に穴に落ちて、偉(ヴィー)はあまりの痛さに、起き上がるまでにかなり時間がかかりました。日が出て正午になると、太陽が洞窟を直接照らします。見ると四方はすべて崖で、上る階段はありません。上に大きな岩があり、石乳が岩の板にしたたっています。
 1匹の白い蛇がいて、長さは百丈、角は黄色で、口は赤、ひげは青、うろこは白く、首の下に腫れ物があり、額に金色の字で「王京子(ヴォンキントゥ)」と書いてあります。蛇は出てきて石乳を食べると再び洞窟の中に戻ります。
 偉(ヴィー)は洞窟に3日間いて、とてもお腹がすいたので、石乳を盗み食べました。すると、蛇が出てきて、岩の皿が空になっているのを見て、首を上げて偉(ヴィー)を見て、飲み込もうとしました。
 偉(ヴィー)はおびえてひざまずき、拝んで「私はここに落ちて避難していました。空腹を満たす方法がなくて、これを取って食べてしまい、本当に罪深いです。今、あなた様の首の下に肉の腫れ物が見えます。私は三年よもぎを持っていますから、どうか私の罪を許していただき、技を少々行わせてください。」
 蛇は首を上げて灸を求めました。突然まぶしい火が見え、ひとかけらの炭が洞窟に落ちてきました。偉(ヴィー)が火を取って灸に火を付けると、腫れ物はなくなり治ってしまいました。
 蛇は偉(ヴィー)に背中にまたがって乗れと言うように、前に来て身をかがめました。偉(ヴィー)は背中にまたがって、蛇はすぐ洞窟から出ました。夜10時頃で、崖の上に着きましたが、誰も歩いていませんでした。蛇は尻尾を振って偉(ヴィー)に降りるよう伝え、その後洞窟の中に戻って行きました。
●偉(ヴィー)が殷(アン)王の皇后と会う
 偉(ヴィー)は道に迷い、突然、大きな建物を見ました。門の上には高い楼があり、赤い瓦は豪華で美しく、灯りが煌々と輝いています。赤い額が門に掛かっていて、金字で「殷(アン)王の城」と書かれています。
 偉(ヴィー)が門のそばに座って中庭を見ると、池があって5色の蓮の花がありました。池の畔にはエンジュの木と柳が何列も並んでいます。れんが造りの道は平らで、翡翠の宮殿と真珠の宮殿、高い屋根に広い廊下。上には金竜の床(とこ)があり、銀の花の絨毯が敷かれています。琴と瑟(しつ 楽器)は2台ありますが、誰もいないようです。
 偉(ヴィー)が行って楽器を演奏すると、突然何百人もの美しい少年や美しい少女が殷(アン)王の皇后に付き従って門を開けて出てきます。偉(ヴィー)は驚いて殿を降りてひれ伏しました。
 后(ハウ)は笑って言いました。「崔(トイ)官人(かんにん)はどこから来たのか。」 そして、殿に上がるように招き言いました。「かつて、殷(アン)王の祠は廃墟となって荒廃し、参拝する者もいませんでした。しかし崔御史(トイグスー)による修復のおかげで、人々はその模範にならって、いつまでも崇拝しています。」「私たちはその徳に報いるために仙女麻姑(マーコー)を使わしましたが、御史(グスー)には会えず、息子に会ったと言います。まだ恩は返していませんが、今息子の顔を見ることができました。しかし上帝が命じたので、王は天にいてここにいないのです。」
 そして素晴らしい酒と食事を出すように命じ、酔って満腹になるようにさせました。宴が終わると、長いひげの大きな腹の人が前に来て「正月の13日に、北の人である任囂(ニャムヒェウ)が猖狂(スォンクォン)神に殴打されて殺されました。」と報告しました。
 報告が終わると后(ハウ)は言いました。「羊(ズォン)官人が崔(トイ)公子をこの世に戻しなさい。」そして后(ハウ)は門の中に戻って行きました。羊(ズォン)官人は偉(ヴィー)に目を閉じさせ肩に座らせ肩に載せると、ほんの少しの間で山の上に着きました。
 羊(ズォン)官人は石の山羊に変化し、山に立ちました。そして今もまだ鄒山(チャウソン)山の趙越王(チェウヴィェトヴォン)寺院の裏にあります。

●偉(ヴィー)が妻と宝珠を得る
 偉(ヴィー)は應玄(ウンフェン)の家に戻るとこの事を初めから最後まで話しました。8月1日になって、陽の光が傾いて当たるとき、偉(ヴィー)と玄(フェン)が外を歩くと、仙女麻姑(マーコー)に会いました。彼女は1人の娘を連れてきて偉(ヴィー)と夫婦にし、彼らに龍燧真珠(ロントゥイヴィェンゴック)を与えました。
 もともと、その宝珠は雌雄一対で、黄帝(ホアンデー)の時代から殷(アン)朝の時代に伝えられ、今でも世の宝として受け継がれています。
 鄒山(チャウソン)の戦いでは、殷(アン)王ははそれを身に着けて亡くなり、宝珠は地中に埋められましたが、その輝きは常に空を照らしました。秦(タン)の時代、兵士は火を放ち、宝物は燃やされました。しかし、人々はその霊気を見て龍燧宝珠(ロントゥイヴィェンゴック)がまだ南にあることを知り、遠くから来てそれを探しました。ここに到って殷(アン)王は偉(ヴィー)の恩に宝珠で報いました。当時の人が金銀彩緞の値段の百万貫でそれを購入したので、偉(ヴィー)は大金持ちになりました。
 その後、仙女麻姑(マーコー)が偉(ヴィー)と妻を迎えに来ました。それからどこに行ったのかわかりません。おそらく仙人仙女になったのでしょう。今、井戸は大きな穴になり、越井崗(ヴィェッティンククォン)と呼ばれています。