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第2巻第18話 傘圓(タンビェン)山の伝説
-山精(ソンティン)水精(トィティン)

ehon3_6.jpg・海に行った貉龍君の子が大王となって傘圓(タンビェン)山に住む話と
 雄王(フンヴォン)の媚娘(ミヌオン)を巡る山精(ソンティン)水精(トィティン)の戦い
・水精(トィティン)が川の流れを操って、水で攻めていくところが、ダイナミックでベトナムらしいです

●傘圓(タンビェン)山の大王と高駢(カオビェン)
 傘圓(タンビェン)山は南越(ナムビェット)国京(キン)城の昇龍(タンロン)城の西にあります。山の高さは1万2千3百丈、周囲は9万8千600里、3つの山が連なり、頂上が傘のように丸いことからその名がつきました。
 唐僧(ドゥオンタン)の哀交州(アイザオチャウ)紀によると、山の大王(ダイブオン)は阮(グェン)氏の山精(ソンティン)で、極めて霊応あらたかです。干ばつや洪水の時に祈るならば、災いを防ぎ禍を除け、即座に霊験が現れます。参拝者は心から神を敬っています。晴れた日にはいつも、山の谷間に旗や幟のようなひらひらした影があらわれす。地元の民は、それは山神(ソンタン)の現れだと言っています。
 唐(ドゥオン)朝の高駢(カオビェン)が安南(アンナム)にいた時、霊跡を追い払おうと考え、17歳の未婚の娘を切りさき、腹わたを取り除き、中を草で満たし、服を着せて、台座に座らさせ、犠牲の水牛を供え、この挙動をうかがって、剣を振って頭を切り落としました。神々を欺くために、この術を用いるのです。
 駢(ビェン)はこの術を、傘圓(タンビェン)山の大王(ダイブオン)に供えるためによく使用しました。見ると雲の上で白い馬に乗った大王(ダイブオン)が唾を吐いて行きます。駢(ビェン)は嘆いて言いました。「南の霊気は計り知れない。よい気がどれだけあっても終わらせられない。」霊験はこのようにはっきりと現れるのです。

●大王(ダイブオン)が道路や休憩所を作る
 その昔、大王(ダイブオン)は傘圓(タンビェン)山の優れて美しい風景を見て、白番(バックフィェン)の川湊から傘圓(タンビェン)山に向かい、安淵(アンヴェ)洞窟を通り、川の源の岩の泉に至る道を作りました。休憩ができる建物も作りました。それから、山の右手の端を通り過ぎて、雲に覆われた頂上に行き、そこに居を定めました。時折、小黄江(ティエウホアンザン)川に遊んで、魚を捕ったり、村々を巡りました。村々には休憩できるように殿(デン 建物)を作ってありました。その後、人々はそれらの殿(デン)の跡をたどり、崇拝のために廟を建てました。

●媚娘(ミヌオン)を巡る山精(ソンティン)水精(トィティン)の戦い
 また魯公(ローコン)の交州記(ザオチャウキーの古い言い伝えによると、大王山精(ダイブオンソンティン)は、姓が阮(グェン)氏で、峰州(フォンチャウ)県の茄寧(ザーニン)の地で、水族と共に暮らしていたと言われています。周赧王(チューノアンヴオン)王の治世中、18代目の雄王(フンヴオン)が峰州(チャウフオン)の越池(ビェットチー)にやって来て、国の名を文郎(ヴァンラン)としました。雄王(フンヴオン)には、とても美しいで名前は媚娘(ミヌオン 神農(タンノン)の27代目の孫娘)がいました。蜀王泮(トックブオンファン)が求婚しましたが、王はよい婿を求めていて、意にかないませんでした。
 数日後、突然2人の人が求婚に現れました。1人は山精(ソンティン)もう1人は水精(トィティン)と言います。雄王(フンヴォン)は法術を競うよう命じました。山精(ソンティン)が山を指すと山が崩れます。何の障害もなく石の内外を出入りします。水精(トィティン)が空中に水を吹き上げるとそれは雨雲になりました。王は言いました。「二人とも神の力に通じているが、私には娘が1人しかいないので、先に結納の品を持ってきた者に娘を与えよう。」
 翌朝、山精(ソンティン)が貴重な宝石、金銀、鳥や獣、その他の贈り物を持ってきて捧げると、王は結婚を許しました。後から水精(トィティン)が来ましたが、媚娘(ミーヌオン)が見えません。彼は非常に怒り、水族を率いてこれを奪うために戦うことにしました。

●水精(トィティン)の洪水
 王は慈廉(トーリェム)県の川を鉄の網で横に仕切りました。水精(トィティン)は小黄江(ティェウホアンザン)川一帯を開くように命じ、蒞仁(リーニャン)山から喝江(ハットザン)に出て、沱江(ダーザン)川に入り、傘圓(タンビェン)山の背後を攻撃しました。再び、小迹江(ティェウティックザン)川の分岐を傘圓(タンビェン)山の前に向かって開き、それは甘蔗(カムザー)、車樓(サーラウ)、古鴞(コーハオ)、麼含(マーサー)を通り過ぎ、深みになり大きな湾となって、水族(トゥイトック)の軍の道を開きました。
 そして常に雨や風を起こし、水位を上げて雄王(フンヴオン)を攻撃します。 これを見た山麓の人々は、これを守るためにすき間のある柵を立て、木の臼を打ちたたき、大声で助けを求めました。柵の外に草が流れているのを見たら、人々はそれを撃ちます。水族は死ぬと龍、蛇、亀の死体に変わり、それは川を塞ぎました。.
 例年7月~8月頃はこのように洪水が起きます。山麓の人々は強風や水害に見舞われ、稲作に被害を被ります。山精(ソンティン)と水精(トィティン)が互いに媚娘(ミヌオン)を争っていると言われています。
 大王(ダイブオン)は神の体の長寿の秘訣を持っているので、非常に神聖です。それは大越(ダイビェット)国の最初の祝福された神です。

●大王(ダイブオン)は海に行った50人の1人
 陳(チャン)朝の翰林(ハンラム)院の学者、阮士固(グエンシーコー)が西に行って拝謁した時、次のような詩を作りました。
   山は天のように高く、神は神聖です
   その声を聞くと心臓の鼓動は高まります
   媚娘(ミヌオン)よ霊術を現してください
   学者のこの旅を守るように
 この伝説の終わりには、続いて段落があります。
 世法集(テーファップタップ)という本によると、昔、貉龍君(ラックロンクァン)と嫗姬(オーコー)が結婚して百個の卵が入った袋を産みました。それぞれの卵から男の子が生まれ、龍君(ロンクァン)は50人の子どもを連れて海に帰りました。嫗姫(オーコー)には50人の子どもがついて行き天下を分割して支配し、王を雄王(フンヴォン)と呼びました。
 しかし傘圓(タンビェン)山の大王(ダイブオン)は元は海に行った50人の子どもの1人であり、山の精霊ではなかったのです。

●大王(ダイブオン)の居所探しの旅
 大王(ダイブオン)は神符(タンフー)海の口を通って戻って来て、人の少ない静かな土地で、人々が素朴で親切な所に暮らす場所を探していました。大(カイ)川をたどって龍肚(ロンド)の地に向かい、次に震澤(チャンチャック)に着いて留まるつもりでしたが、満足しませんでした。ついにそこを去り、瀘江(ローザン)川をさかのぼって福祿(フックロク)の岸まで行き、岸に立つと、美しく高く美しい傘圓(タンビェン)山が見えました。3つの嶺が並んでいて絵のようにです。さらに、山麓には、水牛を屠殺し、酒を造り、毎日食べて飲んで、歌を謡い詩を吟ずる人々がいます。王(ブオン)は、由番津(バックフィェンタン?)から傘圓(タンビェン)山の南に登る、綱のようにまっすぐな道を作るよう命じ、安淵(アンウェン)洞窟について殿を作って休憩しました。