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sach (2).jpg鴻龐(ホンバン)氏の伝説

内容

◆貉龍君(ラックロンクァン)が生まれ王になる
◆貉龍君(ラックロンクァン)民に農業を教える
◆帝来(デーライ)と嫗姬(オーコー)が南に来る
◆貉龍君(ラックロンクァン)民を助けに来て、嫗姫(オーコー)と出会う
◆帝来(デーライ)北(中国)に帰る
◆神農(タンノン)氏の滅亡
◆百人の息子が生まれる
◆嫗姫(オーコー)が龍君(ロンクァン)を責める
◆龍君(ロンクァン)の言い訳と離婚
◆文郎(ヴァンラン)国と雄王(フンブン)の始まり
◆蛟龍(ザオロン)の被害を避けて入れ墨をする
◆百越(バックビェット)の人の衣食住
◆百越(バックビェット)の人の子育てと結婚

鴻龐(ホンバン)氏の伝説

◆貉龍君(ラックロンクン)が生まれ王になる
 炎帝神農(ビエムデータンノン)家三代目の帝明(デーミン)には、帝宜(デーギ)という子がありました、帝宜(デーギ)は南部巡狩(じゅんしゅ 視察)の機会に五嶺(グーリン)山に行き、仙女の婺仙(ブティエン)の娘と結婚しました。国に戻ると祿續(ロックトック)が生まれました。孫の續(トック)の美しい姿と聡明さに帝明(デーミン)は非常に驚きました。そして、彼に王位を継がせようとしました。しかし祿續(ロックトック)は断って、兄に譲位するよう頼みました。
 そこで帝明(デーミン)は後継ぎに兄の嗣(ギ)帝を立てました。一方、祿續(ロックトック)は、南部を統治するように涇陽王(キンズオンブオン)の地位を与えられ、その国の名を赤鬼(シッククア)としました。涇陽王(キンズオンブオン)は水府(トゥイフ)に行く事ができました。そこで洞庭(ドンディン)湖の龍王(ロンブォン)の娘と結婚し、崇纜(スンラム)つまり貉龍君(ラックロンクン)という名の子を成し、彼に国を統治させました。その後涇陽王(キンズオンブオン)はどこへ行ったのか、死んだのかはわかりません。

◆貉龍君(ラックロンクン)民に農業を教える
 貉龍君(ラックロンクン)は民に農業と桑の栽培を教え、君主臣下の序列、父と子、夫と妻の道徳を確立しました。時々水府(トゥイフ)に帰りましたが、百姓たちは平穏無事で過ごしました。どうしてそのようにできたのでしょうか。  もし民に何かある時は大声で「父よ、私を救ってくれませんか」と呼ぶと、龍君(ロンクン)はすぐにやって来ました。龍君(ロンクン)には人間には計り知れない霊感がありました。

◆帝来(デーライ)と嫗姫(オーコー)が南に来る  
 帝嗣(デーギ)は王位を息子帝来(デーライ)に譲り北の地を統治させました。天下は安泰だったので、帝来(デーライ)は自分の代わりに臣下の蚩尤(スイブー)に国政の世話を命じ、南方の赤鬼(シッククア)国を巡行しました。その時、龍君(ロンクン)は水府(トゥイフ)に帰っていて、赤鬼(シッククア)国に主はいませんでした。帝来(デーライ)は娘(または妾)の嫗姫(オーコー)と侍従をそこに住まわせ、自分は名所や景勝を見る天下周遊に出かけました。エキゾチックな草花、めずらしい獣、犀に象に鼈甲、金銀に胡椒肉桂、石乳に沉香檀香、山海の幸、ない物はなく、四季折々の気候は寒くも暑くもありません。帝来(デーライ)はそれらを愛し、帰るのを忘れるほど喜びました。

◆貉龍君(ラックロンクン)民を助けに来て、嫗姫(オーコー)と出会う
 一方で南方の民は北の人々に乱暴を受けて苦しみ、以前のように平和に暮らすことができなくなって、龍君(ロンクン)を呼びました。「父よどこにいますか、北の人間に侵略させて民を悩ませたままなのですか。」
 龍君(ロンクン)はすぐに戻って来ました。ところがエキゾチックで美しい姿の嫗姫(オーコー)を見て喜び、彼は姿が美しい秀麗な青年に変身し、前後左右にたくさんの従者を従えて、歌ったり、太鼓を叩いたりして歩きました。宮殿に着くと、嫗姫は喜んで、龍君(ロンクン)について行くことにしました。龍君(ロンクン)は龍岱(ロンダイ)岩に嫗姫をかくまいました。

◆帝来(デーライ)北(中国)に帰る
 帝來(デーライ)が戻って来ると、嫗姫(オーコー)が見えません。彼は廷臣にあちこちを捜索するよう命じました。龍君(ロンクン)には、妖精や鬼、竜、蛇、虎、象など何百もの形に変化(へんげ)する術がありますから、捜索者は皆恐がって捜索に挑まず、帝來(デーライ)は国へ戻らなければなりませんでした。

◆神農(タンノン)氏の滅亡
 北の地では榆罔(ドゥボン)帝の治世に移ると、蚩尤(スイブ-)が反乱を起こしました。有熊(ヒューフン)国の王である軒轅(ヒエンビエン)は、家臣たちを連れて戦いましたが、勝てませんでした。蚩尤(スイブ-)は動物ですが人間の言葉を話し、とても勇敢で強力です。しかしある人が軒轅(ヒエンビエン)が動物の皮の太鼓を使って指令をすると蚩尤(スイブ-)に教えると、彼は恐くなって涿鹿(チャンロック)に撤退しました。帝榆罔(デードゥボン)は家臣の国に行って、板泉(ファントゥエン)で軒轅(ヒエンビエン)と3回の戦闘を行って敗北し、洛邑(ラックアップ)の地に下って、そこで亡くなりました。神農(タンノン)氏はついに滅亡しました。

◆百人の息子が生まれる
 龍君(ロンクン)が嫗姫(オーコー)と結婚して1年たち、1つの胞衣(えな)が生まれましたが、不吉な兆しと見なされて畑に投げられました。6、7日過ぎると、胞衣から百個の卵が出てきて、それぞれの卵から男の子が1人ずつ生まれたので、やっと連れ帰って家で育てました。乳を飲まないのに、子供たちは成長し、驚くほど美しく、賢く勇ましいので、人々は皆感服し、常ならぬ兆しと考えました。

◆嫗姫(オーコー)が龍君(ロンクン)を責める
 龍君(ロンクン)は水国(トゥイコク)に長い間暮らしていて、別居している彼の妻と子供たちは、いつも北に戻りたがっていました。それで嫗姫(オーコー)たちが国境に行くと、黄帝(ホアンデー)が聞いて非常に恐れ、兵を出して警備をさせました。  嫗姫(オーコー)たち母子は国に帰ることができなくて南に戻り「あなたはどこにいるの?母と子だけで孤独で、昼も夜もこんなに悲しくて」と龍君(ロンクン)を呼びました。彼はすぐに戻って、曠野(トゥオン)の地で会って互いに話し合いました。嫗姫(オーコー)は言いました。「私はもともと北の人間で、王といっしょに暮らし、百人の息子を産みました。王は私を捨てて行ってしまい、子供を私といっしょに育てないで、夫無く妻無く独り身にさせ、ただ自分だけを愛しています。」

◆龍君(ロンクン)の言い訳と離婚
 龍君(ロンクン)は言いました。「私は龍の血統で水族の長です。あなたは仙人の血統で地上の人です。陰陽が合って子を成しましたが、水と火は相容れないし、人種が同じではありませんから、長くいっしょにいるのは難しい、今は別れなければなりません。私は50人の子どもを水府(トゥイフ)に連れて行き、土地を分けて支配します。残りの50人はあなたに従い、地上に戻り、国を分割して支配しなさい。山に登り、水に下り、何かあるときは知らせ合い、互いに忘れないでいましょう。」
 100人の子供たちは聞いて従い、そしてお別れをして去って行きました。
◆文郎(ヴァンラン)国と雄王(フンヴォン)の始まり
 嫗姫(オーコー)と50人の子供たちは、峰州(フォンチャウ)の地に登り、互いに敬い従うとともに、長子を尊重して国の王、その名を雄王(フンヴォン)としました。国の名は文郎(ヴァンラン)とし、東は南海(ナムハイ)に接し、西は巴蜀(バートゥク)に到り、北は洞庭(ドンディン)湖、南は狐猻(ホートン)精国(占城(チエムタイン)のこと)に到ります。国を15部(郡)に分割し、越裳(ビエットトオン)、交趾(ザオチ)、朱鳶(チュ-ジエン)、武寧(ブーニン)、福祿(フックロック)、寧海(ニンハイ 南寧)、陽泉(ズントエン)(海)、陸海(ルックハイ)、懷驩(ホアイホアン)、九真(クーチャン)、日南(ニャットナム)、真定(チャンディン)、文郎(ヴァンラン)、桂林(クエラン)、象郡(トォンクアン)などを、弟たちが分けて支配し、それぞれ相文(トォンバン)と将武(トォンブ)を置きました。相文(トォンバン)とは貉侯(ラックハウ)の文官、将武(トォンブ)とは貉將(ラックトォン)の武官を言います。
 王の息子は官郎(クアンラン)、王の娘は媢娘(ミーヌオン)と呼び、いろいろな役人の百司(チャムクアン)は蒲正(ボーチン)、臣僕奴隸(タンボックヌーレ)は稍稱(サオスン)または奴婢(ヌーティ)と呼ばれました。王の臣下は瑰(ホン)と呼ばれ、代々父から息子へと受け継がれるのは逋導(フーダオ)と呼ばれます。代々の王は雄王(フンヴォン)と呼ばれ、変わることはありません。

◆蛟龍(ザオロン)の被害を避けて入れ墨をする
 当時、森の周りに住んで魚を取るために水辺に行く人々は、いつも蛟龍(ザオロン)族の害を受けたので、雄王(フンヴォン)に頼みました。雄王(フンヴォン)は言いました。「山の人のグループと水族のグループはお互いに恨みを持っており、いつも憎み合い、お互いに害を成します。」そこで、人々に龍君(ロンクン)の形や水の怪物の入れ墨を入れさせました。それ以来、人々は蛟龍(ザオロン)の被害を受けていません。百越(バックビェット)の入れ墨の習慣はここから始まりました。

◆百越(バックビェット)の人の衣食住
 国の初期には、人々は生活に必要な品物を十分に持っていないので、木の皮を使って衣服(または紙)を作り、萱(かや)を編んでゴザを作り、米の絞り汁を使って酒を作り、さとうやしの木や棕櫚(しゅろ)の木を使って使って主食を作りました。(それを飲むとも書かれています。)鳥や獣、魚や淡水の亀で塩漬けを作り、生姜の根をムオイ(塩)(調味料か?)にし、刀で耕し、火で植え(?)ました。土地ではたくさんのもち米ができ、竹の筒を使ってもち米を蒸し、トラやオオカミを避けるために高い木の家を作りました。髪はジャングルの中を歩きやすくするために短く切りました。

◆百越(バックビェット)の人の子育てと結婚
 子どもが生まれたら、バナナの葉でくるみ、死ぬ人があれば、臼を叩いて知らせ、隣人は音を聞いて助けに来ます。まだキンマがなかったので、男女の結婚は、塩釜を先にもって、その後水牛と山羊を供物として殺し、蒸した餅米を食べて、部屋に入って後、初めて2人は一体になります。100人の息子はまさに百越(バックビェット)の祖先なのです。