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第2巻第15話 蠻娘(マンヌォン)の伝説

Phap_Van_chuaDau.jpg・寺の下働きをしていた耳の聞こえない娘が、高名な阿闍梨(あじゃり)の子どもを妊娠してしまい、阿闍梨(あじゃり)が赤ちゃんを木の洞に捨てると、石になって、その石で仏像を作るという話。娘は人を助け尊敬されていたと。
・いや、なんと反応していいのか。日本もそうでしたが昔の命は軽いです。
・子宮外妊娠で胎児が石化してしまう場合があるそうですが、その状態の人がいたのでしょうね。
・蠻娘(マンヌォン)のマン(蛮)の意味は粗野、または素晴らしいという意味で、下働きの娘をそう呼んだのかもしれませんし、他の話では敬虔な仏教徒の両親を持つ娘となっているので素晴らしい、かもしれません。

●蠻娘(マンヌォン)の修行
 漢(ハン)の獻帝(ヒェンデー)の治世に、交趾(ザオチー)の太守の士燮(シーニェップ)は、平江(ビンザン)川(現在の天徳江(ティエンドックザン))の南岸に首都を置きました。
 城塞の南には仏教の寺があり、西方から来た僧侶である伽羅闍梨(ザーラドーレ)がその寺の住職でした。彼には1本足で立つ術があり、誰もが尊敬して尊師(トンスー)と呼び、みんなが来て道を学びました。
 当時、蠻娘(マンヌォン)という娘がいて、両親が亡くなり、非常に貧しくしていました。仏の道を学ぶことを求めて寺に行きましたが、吃音があったため、経を読むことができませんでした。そこで厨房にいて米をといだり、野菜を採って煮炊きをして、寺院の僧侶やあちこちから学びに来る客に出しました。

●蠻娘(マンヌォン)の妊娠
 5月のある夜、夜は短く、僧侶たちは雄鶏が鳴く時まで経を唱えました。蠻娘(マンヌォン)はお粥を作りましたが、僧侶たちの読経は終わっておらず、まだ粥を食べに来ませんでした。媚娘(マンヌォン)は台所の入り口に寄りかかって、ふいに深い眠りに落ちました。僧侶たちが読経を終えると、各自の部屋に戻りました。媚娘(マンヌォン)は入り口の真ん中で眠っていて、僧侶の闍梨(ザーラ)は歩いて媚娘(マンヌォン)の体をまたいで過ぎました。媚娘(マンヌォン)は自然に妊娠してしまいした。妊娠して3、4か月になり、媚娘(マンヌォン)は恥じて寺を去りました。僧侶闍梨(ザーラ)も恥ずかしくて出て行くのをそのままにしました。

●闍梨(ザーラ)が芙蓉の木に赤ちゃんを捨てる
 媚娘(マンヌォン)は川の合流点にある寺院に行って、そこにとどまりました。月が満ちて女の子が生まれ、僧侶闍梨(ザーラ)をたずね子どもを渡しました。夜になると、僧侶闍梨(ザーラ)は女の子を三叉路に運び、枝葉の茂る芙蓉を見ると、深くて清潔な穴があったので、そこに子どもを置いて言いました。「私は仏にこの子を送る。あなたはこれを収め、仏道をなそう。」

●蠻娘(マンヌォン)が人々を救う
 闍梨(ザーラ)と媚娘(マンヌォン)はとわの別れを告げて分かれました。闍梨(ザーラ)は媚娘(マンヌォン)一本の杖を与えて言いました。「お前にこれを与える。お前が家に戻り大きな干ばつに遭ったときは、この杖を地面にさせば、地上に水が湧き、人々の命を救うだろう。」媚娘(マンヌォン)は拝んで受け取り、住んでいる寺に戻りました。

●芙蓉の木が流れてくる
 大きな干ばつが来ても、杖を地面に突き刺せば、自然に水が湧き出して、人々は助かることができました。媚娘(マンヌォン)が90歳を超えた時、芙蓉の木が倒れて、寺の前の川岸に流れてきて、流れ去ることなく漂っていました。人々はこれを見て、拾って薪にするためにそれを切ろうとしましたが、どの斧も壊れてしまいます。それで村の300人以上の人々を連れてきて木を引き上げようとしましたが、動かせませんでした。
 媚娘(マンヌォン)が川辺に降り手を洗ったとき、戯れに木を引っ張ってみると動きました。みんなは驚いて、媚娘(マンヌォン)に岸に上げるよう頼んで、4つの仏像を彫るために職人を頼みました。木を切って女の子がいる場所になると、それは非常に固い岩に変わりました。職人たちは斧を使って岩を砕きましたが、斧はすべて欠けていました。職人たちは石を川に投げ込みました。するとまぶしく光り、石は長い時間かかって水に沈みました。職人たちはみんな死んでしまいました。

●石になった赤ちゃんで仏像を作る
 人々は媚娘(マンヌォン)に拝むよう頼んで、漁師を雇って水に飛び込ませ、岩を拾い上げ、寺に持っていき、仏像の中に置きました。仏像は自然に金におおわれて見えました。僧侶闍梨(ザーラ)は仏像を法雲(ファップヴァン)、法雨(ファップヴゥ)、法電(ファップロイ)、法雷(ファップロン)と名付けました。あちこちで祈祷を行い、どんなことにも応じました。 村人たちは、媚娘(マンヌォン)を仏の母と呼んでいます。
 4月4日、媚娘(マンヌォン)は病気ではないのですが、亡くなって、寺の中に埋葬されました。人はこの日を仏陀の誕生日とみなします。毎年、その日には、あちこちの男女がこの寺に集まり、歌と踊りで遊びます。これは仏浴会(ホイタムファット)と呼ばれています。